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重傷にも挫けず、人を尊重する──。
井上康生、名選手が名将になれた訳。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byYUTAKA/AFLO SPORT

posted2020/05/02 11:00

重傷にも挫けず、人を尊重する──。井上康生、名選手が名将になれた訳。<Number Web> photograph by YUTAKA/AFLO SPORT

2008年5月2日に行われた引退会見では笑顔も見せた井上康生。好成績のリオ五輪に続き、来年の東京五輪でも期待がかかる。

選手1人ひとりを尊重し、対話を図った。

 言葉に誇張はなかった。同年のロンドン五輪で、史上初の金メダルなしに終わり、「惨敗」として悪い意味で大きくクローズアップされた。その再建を託されたのである。重い役割と言ってよかった。

 そして井上は、それを果たしてみせた。

 2016年のリオデジャネイロ五輪で、金2、銀1、銅4、全階級でメダルを獲らせたのだ。

 井上の改革は多岐に渡った。柔道が海外に広く普及し、スタイルも多岐に渡っていることを選手に意識付け、研究するよう導いた。相手を知ることを求めた。

 トレーニングも含め、科学・合理性に裏打ちされた強化方針を打ち出す一方で、土壇場の気持ちの強さが大切であることも忘れなかった。両面の指導にあたった。

 それらもあって、前体制とでは、選手との関係が大きく変わった。根性面に偏りがちで、いきおい、選手への目線が上からになりがちだったのと異なり、選手1人ひとりを尊重し、対話を図ったのだ。

落選した選手を思い、涙した。

 かける言葉には、井上の経験と思いもいかされていた。

「メダルを獲る、獲らないで、その後は大きく変わってくるものなんだ」

 何度も語りかけて、メダルの重みを伝え、執念を育もうとした。おそらくは、アテネでメダルを逃した自身の苦い体験が込められていたし、経験を指導者としていかそうという姿勢がそこにあった。

 選手への情熱は、今年2月、東京五輪代表選手を発表する場にもうかがえた。落選した選手を思い、涙したのだ。

「選考を思い浮かべる中で、ギリギリで落ちた選手たちの顔しか浮かびません。ほんとうに彼らはすべてをかけてここまで戦ってくれました」

 真摯な歩みで得た自身の経験をいかしつつ知識を貪欲に吸収して指導方法を構築。そして根幹にある、選手への情熱。これらが相まって、名選手は名将として立つことができた。

 2021年へ、その熱が衰えることはない。

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