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鬼才・柳澤健が綴った桜庭和志・伝。
「プロレスラーは最強」の真実とは?
text by
藤森三奈(Number編集部)Mina Fujimori
photograph byKeiji Ishikawa
posted2020/03/10 18:30
自らもブラジリアン柔術を学んでいるという著者の柳澤健。「格闘技は技術を知らなければ書けないので」(柳沢)
高田延彦がリアルファイトで負けた時……。
――そしてその一方で、大変なリアリストでもある。
「そう思います。レスリングをベースに持つ桜庭が、プロレスのサブミッション、ムエタイの打撃、柔術の戦術に触れて強くなっていた最高のタイミングでPRIDEが出てきた。1997年はまだグラップラーは寝技だけ、ストライカーは打撃だけ、レスラーはテイクダウンだけで戦っていた。
打撃もテイクダウンもできて関節技で極める力も凄いというオールラウンドの選手はほとんどいなかった。桜庭は時代の最先端を行くトータルファイターだったんです」
――経営が苦しくなったUWFインターナショナルは1995年、新日本プロレスとの団体対抗戦に踏み切りました。ところがメインイベントでは高田延彦は武藤敬司に4の字固めで敗れ、UWF幻想は崩壊します。参議院選挙でも落選していた高田は、ヒクソン・グレイシーと戦わざるを得なくなった。プロレスで頂点を極めた高田がリアルファイトのPRIDEで輝きを失っていたからこそ、そこにクロスする形で頭角を現した桜庭和志の勝利がより一層輝いた――。その明暗が『2000年の桜庭和志』には分かりやすく描かれていると思います。
「そこは僕がそう描いたというよりも、みんながそう見ていたんですよ。『1984年のUWF』を書いた時に、『柳澤は自分に都合のいい資料だけを集めて前田日明を貶めようとした』と書かれたことがありましたが、そんなつもりは全然ない。僕が書こうとしたのは、幻想が崩壊したUWFから、なぜ桜庭和志という強い選手が出てきたのか、という説明です。
説明のために、高田がどのように負け、桜庭がどのように勝ったのかを書いているだけの話。桜庭の光を強めるために高田の影の部分を強調したわけではありません。私はごくごく一般的な見方をしていると思います」
「本を書く時には、何も分からない読者を設定します」
――『2000年の桜庭和志』のために、桜庭選手のインタビューを何度かされたそうですね。実際に会ってみて、印象は変わりましたか?
「桜庭さんは私の予想を超えてクレバーな方です。決してオープンな方ではありません。たとえば棚橋弘至選手みたいに、何でもしゃべってくれるわけではない。ただ、僕が何を聞きたいのかを理解して、誠実に答えてくれました。言えないことはあるけれど、ごまかしたり、はぐらかしたりはしません。原稿がヘンな方向に進んでしまって叱られたこともありましたけど、私は好きですね」
――猪木、UWF、桜庭という流れだけでなく、この本にはグレイシー一族の物語や柔術に、かなりの紙数が割かれています。この辺りのことを深堀りした理由を教えてください。
「プロレスに限らず、スポーツ選手の本の多くは、選手にインタビューして簡単にまとめてしまうものが多い。本人が言ったことばかりが書いてある。証明写真みたいなもので、人物は映っているけど、背景は真っ白。この人がどこにいるのかが全然わからない。
私が本を書く時には、何も分からない読者を設定します。
『2000年の桜庭和志』で言えば、プロレスも総合格闘技もアームロックもガードポジションも何も知らない読者でもわかるように書いたつもりです。
そのためにはPRIDEという背景、MMAという背景、柔術という背景を書かなくてはいけない。
こんな背景の中、時代の中、空気感の中に桜庭和志はいたんですよ、ということを描きたかったんです。
それを書かなければ、凡百のタレント本と何も変わらない。強いプロレスラーの桜庭がずるがしこい柔術家のグレイシーと戦って勝ちました。それだけです。
『2000年の桜庭和志』を読んでもらえれば、プロレスについても、UWFインターナショナルやキングダムといったプロレス団体についても、PRIDEという巨大プロモーションについても、グレイシー一族についても、日本からブラジルに渡った柔術についても理解してもらえるはず。私の過去の作品でも同じことですけど」