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《パリ2024パラリンピック注目選手》全盲、車いす…困難を乗り越えて金メダルを目指す日本パラスポーツ界の“超人”たちの激闘を目撃せよ!

posted2024/08/21 10:00

 
《パリ2024パラリンピック注目選手》全盲、車いす…困難を乗り越えて金メダルを目指す日本パラスポーツ界の“超人”たちの激闘を目撃せよ!<Number Web> photograph by AFLO

左から陸上競技400m(T52)・佐藤友祈、水泳100mバタフライ(S11)・木村敬一、車いすテニス・上地結衣

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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AFLO

 4年に一度の大舞台・パリ2024パラリンピックが8月28日に開幕する。22競技、全549種目に世界のアスリートが集う。

 その中に、世界のトップで戦い続ける日本の超人たちがいる。

パラリンピック5大会連続出場の全盲スイマー・木村敬一

 競泳の第一人者、木村敬一は2歳の頃、先天性疾患で視力を失った。パラリンピックは北京2008を皮切りに、パリ2024で5大会連続出場になる。

 北京2008こそ表彰台に上がることはなかったがロンドン2012では100m平泳ぎで銀メダル、100mバタフライで銅メダルを獲得。リオ2016では50m自由形と100mバタフライで銀、100m平泳ぎと100m自由形で銅メダルを獲得した。

 日本競泳の柱と期待され、複数のメダルで応えた木村だったが、満足はできなかった。世界一になる=金メダルを手にすることができなかったからだ。

 リオ2016でのレース後には「これだけやったのに」と涙を流した。そう言えるだけのハードな練習を積んでいたにもかかわらず世界一になれなかった事実に、心は折れかけた。

 それでも「今度こそ金メダルを」と東京2020を目指す決意を固め、練習環境を変えようと2018年に渡米。英語が話せるわけではなく、知り合いもいない。でも苦労を苦労とせず、持ち前の明るさでトレーニングする中で、自ら練習に取り組む意欲も高まっていった。2020年にはコロナ禍で日本に戻らざるを得なかったがその経験も木村を強くした。

 迎えた東京2020では100mバタフライで念願の金メダルに輝き、100m平泳ぎでも銀メダルを手にした。

 目標は叶えた。この先どうするのか、すぐには決められなかった。でもいつしか、もっと泳ぎを追求したいと思うようになっていた。

 木村が今なお全力で情熱を傾ける水泳を始めたきっかけは、運動が好きでよく体を動かしていて、転んだりぶつかったり、怪我も絶えなかったことにある。心配した母が「プールの中だったら安全じゃないか」と水泳を勧めたのだ。

「言葉で教わりつつ、先生に一緒にプールに入ってもらって、手取り足取りというか体を動かしてもらいながら泳ぎを覚えました。好きかどうかというより、打ち込んでいる自分に酔っている感じでした(笑)」

 始めた頃をそう表す。まさに感触や感覚を頼りに泳ぎを覚え、打ち込んだ。オリンピック競泳のスーパースター、マイケル・フェルプス(アメリカ)の活躍を伝える中継に耳を傾け、憧れたことも拍車をかけた。

「好きかどうか」というところから始めた水泳は、いつしか離れられない存在になった。2023年になり、フォーム改造のため200mバタフライでオリンピック2大会連続メダルを獲得した星奈津美に指導を依頼。「より速く」を追い続ける向上心とともに、5度目の大舞台を迎えようとしている。

東京2020で二冠! 世界記録の奪還を目指す佐藤友祈

 車いす陸上のエース、佐藤友祈は「有言実行」をまさに地で行くアスリートだ。

 競技を始めるとき「リオ2016に出る」と誓い実現した。東京2020に向けては「400m、1500mで二冠を獲ります」と宣言し、見事に達成した。「したい」という願望形ではなく、いつも「する」と断言する。

「小学生の頃から興味を持ったことには時間を忘れて没頭していましたし、好きなことについては『したい』ではなく『する』と考える方でした」

 根拠があろうとなかろうと自信を持てるとも言う。いわば鋼の意志を持つ佐藤だが、競技を始める前はそうではなかった。

 21歳のとき、下半身の力が抜ける症状に襲われた。その後症状が悪化する。やがて両下肢は動かなくなり、左腕が麻痺していった。脊髄炎だった。

「受け入れられず落ち込むこともありました」

 それも無理のないことだった。

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