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<龍角散presents エールの力2024⑤>「プリンセス・メグには抵抗があったけれど…」。栗原恵を日本のエースに成長させた大声援の力。
posted2024/08/16 11:00
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
AFLO
高校1年生で女子バレーボールの日本代表に初選出され、17年間のプロ選手生活で数々の大舞台を経験してきた栗原恵さん。中でも19歳だった2003年11月に日本で開催されたFIVBワールドカップは、声援のパワーを心の底から実感した最初の大会だった。
初戦のアルゼンチン戦でのこと。
「暗転して真っ暗になった控えエリアで試合開始を待っている時、カーテンを開けたらものすごい声援が聞こえてきたんです。スタンドにたくさんのファンがいるのも見えてきて一気に気持ちが高揚しました」
栗原さんにとって初のワールドカップの初戦。代々木第一体育館は1万2000人のファンで膨れ上がっていた。会場の約99%が日本の応援という中で、栗原さんは先発フル出場してチーム最多の12得点を挙げた。第1、2セットのセットポイントを決めるなど要所での活躍も素晴らしかった。
初出場の大舞台で伸び伸びとしたプレーを見せ、3-0の勝利に貢献した栗原さんに、柳本晶一監督は「春高バレーの経験が大きかったのだろう」とコメントしていた。
山口の三田尻女子(現誠英)高校時代に選抜(春高バレー)、インターハイ、国体で計4回の優勝を飾ってきた栗原さん。柳本監督が指摘した通り、当時の春高バレーはワールドカップと同じ代々木第一体育館が舞台であり、立ち見が出るほどの人気だった。だが、ワールドカップで感じた応援のパワーは別格だった。
「春高バレーは相手も日本のチームなので、それぞれの応援団がいてみんなに拍手をしてもらっているという感覚でしたが、ワールドカップでは声援のすべてが私たちに送られていました。高校を卒業してすぐの私にとっては、圧倒されるというか、びっくりするくらいの光景でした」
声の後押しを受け、栗原さんは躍動した。大会が終わる頃には「プリンセス・メグ」の愛称で全国に知られる存在となった。
観客の声援があると1センチでも高く飛べる
振り返れば日本のバレーボール人気は選手とファンが一体になって作り上げてきたものだ。
「バレーボールはルールがわかりやすくて一緒に盛り上がれるスポーツです。私が選手だった時代は、サーブの時の掛け声などもありましたから、ファンも一緒にコートの中にいるような感覚を味わいやすい競技だったと思いますし、選手としても会場との一体感を感じていました」
栗原さんが振り返るように、当時はスティックバルーンが定番の応援グッズで、サーブを打つ時の観客の「そぉーーれっ!」という掛け声も定番だった。
「1点がなかなか取れない時に応援の力で点を取らせてもらったと感じることはよくありました。サーブの掛け声で乗っていける感覚もありました。それに、アタッカーは最初の1点を取るまではプレッシャーが掛かるものなんです。1点目を取った時に歓声が上がると、一気にプレッシャーから解放される感覚があります」