松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
高田千明「走り幅跳びに挑戦したい!」
突然の転向に大森コーチは何を思った?
posted2020/03/09 07:30
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Nanae Suzuki
松岡修造がパラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。第10回のゲストはパラ陸上、女子走り幅跳びで東京パラリンピックの日本代表に内定した高田千明さんと、コーチの大森盛一さん。
2008年の北京パラリンピックへの出場権を得られず、その後、妊娠、出産を経験した高田さん。
日々子育てに奮闘しながらも、大森コーチの下、2012年のロンドン大会を目指し練習に励むが、この年もまた出場権をつかむことはできなかった……。
「もう一度、自分の心に問いかけたんです」
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じっと母親の話に耳を傾けていた息子の諭樹くんが、思わずこうつぶやく。
「全部、僕のせいじゃん」
慌てて、母親の高田さんが優しい言葉でフォローする。
高田「そんなことないよ。諭樹がいたから頑張れたんだよ。
でも改めて振り返ると、たしかにロンドンまでの4年間は両親に子どもを預けたり、夜練習に行くあいだ、友だちに来てもらって子どもの面倒を見てもらったり、『ママ行かないで』と言われるのが辛かった時期もあったんです。年齢も27になっていて、次の4年間をどうするかはすごく悩みました。
主人に相談をすると、決断は任せると。ただ『4年経って、同じ30代の選手が活躍する姿を見て、あの時私もやっておけば良かったと後悔だけはしないように』と言われました。それでもう一度、自分の心に問いかけたんです。私はパラリンピックにどうしても出たいんだよね。出るために頑張ってきたんだよねって。もし100mや200mの短距離がダメなら、走り幅跳びならどうだろう。そう考えたんです」
松岡「また一からですか!」
高田「全盲で走り幅跳びができるなんて思いもしないじゃないですか。それがたまたまパラリンピックの強化合宿で全盲の選手と出会って、彼女はロンドン大会に出たんですよ。記録を聞いたら4m20とか30で、何の根拠もないんですけど、それくらいなら私も跳べそうって(笑)。まずは大森さんに相談して、それから結論を出そうと思いました」