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車いすの天龍源一郎が見せた笑顔、藤波辰爾は“確執”を越えて…ジャイアント馬場「没25年追善興行の情景」引退の太陽ケア「馬場さんには感謝しかない」

posted2025/02/03 17:00

 
車いすの天龍源一郎が見せた笑顔、藤波辰爾は“確執”を越えて…ジャイアント馬場「没25年追善興行の情景」引退の太陽ケア「馬場さんには感謝しかない」<Number Web> photograph by Essei Hara

リングの中央に置かれたジャイアント馬場の「16文」シューズ。1月31日、後楽園ホール

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原悦生

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Essei Hara

 ジャイアント馬場が61歳で旅立って26年が過ぎた。命日にあたる1月31日、後楽園ホールでは追善興行が行われた。チケットは昨年、すでに売り切れていた。太陽ケアことマウナケア・モスマン(49歳)の引退試合も組まれて会場には活気があふれていた。

車いすの天龍源一郎も姿を見せて「感無量だったよ」

 試合開始前には追悼の10カウント。全日本プロレスのジャージーに身を包み、所属は変わっても現役のレスラーや、すでに引退したレスラーたちがリングに上がった。リングの中央には馬場の代名詞「16文」のリングシューズが置かれていた。

 かつて東京ドームで行われた馬場の「引退試合」をつい思い出してしまった。もう、リングで馬場の名を叫んだジン・キニスキーもブルーノ・サンマルチノもザ・デストロイヤーもいない。WWWF時代ニューヨークのMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)を札止めにしたサンマルチノとの一連の好勝負は馬場の名声を高めた。もし、日本プロレスに呼び戻されなかったら、馬場はアメリカで巨万の富を得ていたことだろう。1967年8月の大阪球場で延長戦までもつれ込んだキニスキーとの一戦は語り草だ。デストロイヤーは馬場を慕っていた。

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 リングには天龍源一郎、ザ・グレート・カブキ、グレート小鹿、タイガー戸口、越中詩郎、大仁田厚、渕正信、百田光雄、川田利明、小橋建太、田上明、北原光騎、大森隆男、本田多聞、井上雅央、丸藤正道、秋山準らの顔があった。和田京平レフェリーや、この興行のプロモーターでもある木原文人リングアナもいた。

 天龍は車いすのままリングに持ち上げられると、フーッと息を発した。そして、マスクを外した。

 10カウントを聞き、「王者の魂」が流れ、馬場夫妻のパネルを囲んでの記念写真の撮影が終わると、天龍はとびきり明るい笑顔を見せた。和田レフェリーとは2ショット撮影会のようになった。2月2日で75歳の天龍は元気に見えた。

「元気な訳ないだろう。こんな状態なんだから。言い方悪いけれど、こういうチャンスは最後かなと思ってリングに上がったから、感無量だったよ。いつも見ないメンバーが顔をそろえたのは感慨深かった。馬場さんの思い出と言われたら、入門した時、ハワイに連れていかれて、プールで飛び蹴りの練習させられたことかな」

 大仁田は「馬場さんが見たことないだろうから」と自身のもう一つのキャラクター、グレート・ニタになって、鎖鎌や有刺鉄線バットやギターを振り回して葛西純らに緑の毒霧を吐いた。

 もう会社は違うとはいえ、現在の全日本プロレス所属の出場選手はいなかった。

【次ページ】 西村修との確執を越えて…藤波辰爾が見せた男気

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