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プロレス大賞男オカダ・カズチカの悩み。
東京五輪に負けないプロレス人気を!
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/01/02 11:40
すでに日本プロレス史に残る結果を出しているオカダ・カズチカ。名実ともにスーパースターになるため、何をすべきか……。
「年間最高試合賞」に選ばれる真の栄誉。
昔から、年間最高試合に選ばれるというのは、プロレス大賞の中でプロレスラーとして最も誇れるものであった。大賞のMVPよりも価値がある、と言ってもいい時代さえあったのだ。
それは試合でどれだけ観客やファンに強烈な印象を残せたかが、プロレスラーとして最も重要だからだ。
だから、敗れた対戦相手も同時に評価されたことになる――プロレスはただ勝てばいいものではないのである。
プロレス大賞は1974年に東京スポーツ新聞社によって制定されて46年の歴史を重ねたが、最初の8年間はアントニオ猪木とジャイアント馬場の時代だった。新日本プロレスの猪木が勢いと話題性に勝っていた時で、全日本はジャンボ鶴田へと移行する時期だったから、MVPは猪木6回、馬場2回という数字だ。
だが、この馬場と猪木の時代に風穴を開けたのが、タイガーマスク(佐山聡)だった。「金曜夜8時」のテレビ視聴率の申し子のように、日本中に旋風を巻き起こしたタイガーマスクは25歳の若さで1982年にジュニアヘビー級の選手としてMVPを獲得した。
このタイガーマスクの25歳というMVP最年少記録に、オカダは2012年に30年の時を越えて並ぶことができた。
“ベストバウト・マシーン”を越えて。
オカダは初めてIWGP王者になった2012年からこれまで8回のチャンスの内、半分の4回でMVP。プロレスラーの勲章ともいえる年間最高試合では、実に7回も受賞している。最高試合を逃したのは2013年の1回だけだ。この時は中邑真輔vs.飯伏幸太に勲章をさらわれている。
オカダが最高試合を獲得した試合の相手は6人で、古い順から棚橋、中邑、天龍、丸藤正道、オメガが2年連続、そして昨年のSANADAだ。
天龍が自身の引退試合で「一度戦ってみたかった」と大きな興味を示したオカダは、その試合で誰とでも戦える才能を持っていることを証明してみせた。
オメガは自らを“ベストバウト・マシーン”と呼んだが、今よりもっと上に行く才能を持っているのが、それこそオカダなのかもしれない。