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長谷部誠、究極の非日常を楽しむ日々。
「命賭けでやるような場に立たないと」
text by
本田千尋Chihiro Honda
photograph byGetty Images
posted2019/12/22 11:50
チームメイトのコスティッチとゴールを喜ぶ長谷部誠。「ヒリヒリするような喜怒哀楽」を日々堪能しているという。
特別なことは「個人的にはしていない」。
主将としてケルン戦に出場した日本人リベロは、周囲の人々への「感謝」の気持ちを表した。
ブンデスで300試合出場を達成することができたのも、フェリックス・マガトを始めとする監督、マルセル・シェーファーを始めとする選手、そしてドイツで出会った人々がいたから――その言葉には彼の豊かな「人間性」が滲み出ていた。
'13年9月にヴォルフスブルクの緑色の鮮やかなユニフォームを脱いでFCニュルンベルクに、その1年後にはフランクフルトに移籍。チームが変わってもコンスタントに試合に出場してきた長谷部だが、「何か特別なことをしているかと言えば、個人的にはしていない」と言う。
「個人的にもチームとしても苦しい時期があったし、僕自身、降格も経験しているし、もちろん優勝も経験していい時もあったんですけど、全体としては本当に波の大きいドイツ、ブンデスリーガでのサッカー人生。
その中で、苦しい時に踏ん張るというか、歯を食いしばって状況を打開することが出来てきたから、ここまでやれているのかなあと思います」
“日本人ブーム”以前に渡欧した長谷部。
ヴォルフスブルク時代の'12/'13シーズンには、プレミアリーグへの移籍志願を契機に、マガト監督によって干されたことがある。
公式戦9戦連続ベンチ外となり、4カ月、独りで練習場の裏山を走った。ニュルンベルク時代は、シーズン後半、右ひざの怪我で満足にプレーすることができなかった。結局、最終節のFCシャルケ04戦1試合の出場に留まり、チームは2部に降格した。
そもそも長谷部がドイツにやってきた当時は、その2年後にボルシア・ドルトムントに加入した香川真司が活躍してブンデスに“日本人ブーム”が起こる前の時代。日本人にサッカーができるのか? といったレベルでの偏見との戦いもあっただろう。ヨーロッパ全体を見渡せば、欧州各国でプレーする日本人選手は今よりもずっと少なかった。少なからずアジア人が低く見られがちな異国の地で、日常的には孤独との闘いもあったのではないか。