サムライブルーの原材料BACK NUMBER
18歳、遠藤保仁デビュー戦の真実。
中村俊輔の共感、岡山一成の嫉妬。
posted2019/09/02 19:30
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE
三ツ沢とヤット。
1964年の東京五輪においてサッカーの会場として使用された伝統あるスタジアムの味も手伝ってか、何だか21年前にタイムスリップしたようなちょっと不思議な感覚に襲われた。
ホームの三ツ沢でプレーしていた横浜フリューゲルスのルーキー時代は18歳。そして今は39歳。時を経ても、抑揚とテンポの攻撃転調は遠藤保仁から発信されていく。
8月31日、横浜F・マリノスとガンバ大阪の一戦。0-2で迎えた後半13分にピッチに入ると、小野瀬康介とのパス交換からゴールが生まれた。左サイドでフリーとなっていたアデミウソンへのロングパス、相手の背後に飛び出してからのクロスと立て続けに彼のキックがチャンスをもたらした。
記者席で観戦するフリューゲルス時代の先輩、波戸康広(現在はF・マリノスのアンバサダー、解説者)も「ヤットはうまいし、見ているし、(状況を)分かっている」とうなっていた。
レジェンドと肩を並べる数字。
彼は今夏、前人未踏の記録にたどり着いた。
8月2日のヴィッセル神戸戦で日本人選手初となる公式戦通算1000試合出場を達成した。J1で621試合、リーグカップ72試合、天皇杯48試合、ACL58試合、J2で33試合、A代表152試合、その他16試合。1998年、横浜フリューゲルスに入団して以来1年平均45試合以上のペースでこなしてきた。世界に目を移してもパオロ・マルディーニ、ライアン・ギグス、シャビ、ハビエル・サネッティら一握りのレジェンドしか達成していない。
この日のF・マリノス戦で1003試合目。遠藤のプレーを眺めながら、ふと隣にいる波戸にキャリアの出発点となるJリーグのデビュー戦について聞いてみたくなった。