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18歳、遠藤保仁デビュー戦の真実。
中村俊輔の共感、岡山一成の嫉妬。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2019/09/02 19:30
遠藤保仁のJリーグデビュー戦は、横浜国際総合競技場で初めて行われた「横浜ダービー」だった。
観衆5万人のJデビュー戦。
「あのときは三ツ沢じゃなかったんですよね。横浜国際総合競技場(日産スタジアム)のこけら落とし(Jリーグオープニングゲーム)で、フリューゲルスもあの年、結構試合やったんです。開幕がマリノスとの横浜ダービー。5万人以上のお客さんが入ったんですよね。すごい盛り上がりのなか、ヤットも先発で出たんですよ」
そうだ。ヨココクだ。遠藤はあの日、大観衆の中で涼しい顔でプレーしていた。普通、18歳ルーキーのデビューなら後半途中でお役御免となるのが一般的だが、延長Vゴールで勝利するまでピッチに立っていた。振り返ってみれば、ファーストゲームから鉄人のにおいを漂わせていたのだった。
1998年3月21日、Jリーグ開幕の横浜ダービーマッチ。
それまでもマリノスとフリューゲルスのサポーターであふれる人気カードであった。完成したばかりの横浜国際には5万2000人強が詰めかけた。
バルセロナのOBで引退後もトップチームのコーチを務めたフリューゲルスの新監督、カルロス・レシャックは高校を卒業して間もない遠藤とFWの大島秀夫の2人を先発に送り出した。
「楽しんでプレーできていましたね」
遠藤本人にデビュー戦のことを聞いたことがある。
「Jリーグを経験している監督なら僕のこと、使ってなかったでしょうね。レシャックさんは初めてJリーグに来たわけだし、たまたま監督のサッカー観に僕が合ったという感じじゃないですかね。
あの試合、確か花火とかも上がったんですよ。すべてが初めての経験なので新鮮で、“Jリーグってすげえな”っていう感覚だけでしたね。マリノスには井原(正巳)さん、小村(徳男)さん、(川口)能活さん、シュン(中村俊輔)、(フリオ・)サリナス……みんな代表や代表クラスでしたから、頑張ろうって思った記憶はありますよ。レシャックさんからも確か『好きなようにやれ』みたいなことを言われていたと思うし、プレッシャーみたいなものも感じなかった。楽しんでプレーできていましたね」