「谷間の世代」と呼ばれて。BACK NUMBER
ファンタジスタ松井大輔が明かす
南アW杯、駒野&阿部との涙と絆。
posted2019/09/02 17:00
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph by
Yuki Suenaga
52歳のカズはさすがに別格だとしても、40歳を過ぎて現役を続ける選手は、以前に比べ、それほど珍しいものではなくなっている。
とはいえ、30代も終盤にかかると、同年代で現役の仲間は少なくなる。否が応でも、自身のキャリアが晩年に入っていることを思い知らされる。
今年5月で38歳になった松井大輔もまた、そんな選手のひとりである。
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午後の練習の前にミーティングがあるので、それまでに。そう約束して始まったこの取材の後も、松井はいつものように横浜FCの練習グラウンドで汗を流す。チームメイトには、もはやひと回り以上も年の離れた選手が少なくない。
「35歳を超えると、未知数ですよね。(アテネ五輪で対戦したダニエレ・)デロッシもローマを辞めましたし(ボカ・ジュニオルズへ移籍)、やっぱり、ヨーロッパでは厳しいのかな……、って思うと、僕も38歳になったんで、頑張らないと(笑)」
20年ほど前、華麗なテクニックと多才なアイディアを操るこのファンタジスタは、すでに同世代の先頭を走る存在だった。18歳の松井は、鹿児島実業3年のときに第78回全国高校サッカー選手権大会で準優勝。鹿実を卒業後は、当時J1の京都サンガに加入すると、1年目からリーグ戦22試合に出場した。
1981年生まれの松井は、すなわち「谷間の世代」のひとり。だが、なかなか所属クラブでポジションをつかめない同世代の仲間を尻目に、いち早くその才能を開花させていたのである。
越境した鹿実で遠藤保仁に出会う。
しかし、そんな世代屈指のタレントにとっても、2学年上の「黄金世代」はまぶしかった。
「(1999年の)ワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)で、黄金世代が準優勝したのは見ていました。稲本(潤一)くんや、(小野)伸二くんは(1995年の)U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)にも出ていたし。だから、ただ彼らを追いかけるだけというか、すごいなっていうイメージでしか見ていませんでした」
京都出身の松井が、あえて鹿実へ越境入学した理由のひとつには、黄金世代の存在があったという。
「僕は中3のときに、稲本くんとかと関西選抜で一緒にやっているんですが、そのときは衝撃を受けましたね。(年齢が)2個しか違わないのに、(能力的に)まったく違った。サッカー選手は自分よりうまい人が身近にいて、技術もそうだし、いろんなものを真似して吸収していくことが大事だと思っていたので、鹿実を選ぶときも、誰か見本になる人がいないかと、探しに行ったのを覚えてます」
そこで出会ったのが、遠藤保仁である。