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「お前」は不適切なフレーズなのか?
中日応援歌に見る選手とファンの関係。
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byKyodo News
posted2019/07/03 12:30
「そんなに強く主張したつもり、無かったんだけどな~」というボヤキが聞こえてきそうな与田監督。選手、ファン、報道のあり方を考えさせられる出来事。
この場面の「お前」の持つ意味とは?
筆者個人の価値観に照らした時、どうしても首を縦に振ることはできなかった。
語源云々はさておき、現代の用法について考えを巡らせてみると、「お前」は、目下の者へのやや乱暴な呼称として使われることもたしかにあれば、仲間や身内に対して、親しい者どうしだからこそ許される呼称としても機能している。
対等な関係であると認め合っていれば「お前」と呼ばれても何とも思わない人が多いだろうし、相手より上の立場にあると認識している人が、その相手から「お前」と呼ばれれば「失礼だ」と感じるだろう。
人と人との関係性を反映するものだから、「お前」という言葉が持つニュアンスも、ケースバイケースでさまざまだ。
監督を含む球団・チーム側と、応援団を含むファンの側。その両者を結ぶ「お前」は、いったいどんな意味を持つべきなのだろう?
「球団>ファン」という上下関係になるのか?
球団側が、ファンから「お前」と呼ばれることを「不適切」「選手に失礼」と感じ、その心証を明らかにする時、それは同時に「球団>ファン」という“不等号”の存在を示唆してしまう。
あえて強調的に書けば、「球団・選手を何だと思っているんだ」と不満げに憤っている印象をファンに与えかねない。たとえそれが本意ではないとしても、だ。
与田監督の「『お前』ではなく名前で」という「提案」が先に出てきていたのなら、「サウスポーをやめろと話したわけではありません」という与田さんらしい柔和なコメントが先に一言あったなら、よりソフトな反応にとどまり、建設的な議論に発展していたのかもしれない。
だが、「不適切」や「失礼」といった強力なワードが先行したがゆえ、少なくないファンが悲しみや失望、怒りを覚えることになってしまった。
与田監督が「お前」の一語をよしとしない感覚を持つこと自体は、それこそ個人の価値観であり、何も問題ないと思う。だが、その意を受けた球団が、組織として同じ価値観を共有すべきとは限らないし、ファンからの「お前」に対する違和感が球団オフィシャルの見解という印象とともにファンに伝わることは何より避けられるべきだった。その点に関しては、球団のコミュニケーションの方法にも大きな問題があったのではないだろうか。