Jをめぐる冒険BACK NUMBER
監督・相馬直樹の胸に刻まれた、
ジョホールバルの歓喜と岡田采配。
posted2018/12/28 11:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
AFLO
不動の左サイドバックに、スタメン落ちの危機が訪れていた。
左ボランチの名波浩とともに「日本の攻撃の生命線」と呼ばれるホットラインを形成していた相馬直樹は、ベンチスタートを覚悟していた。1997年11月アウェーの韓国戦を前にしてのことである。
この年9月に開幕したフランス・ワールドカップ・アジア最終予選。悲願の初出場を目指す日本代表は、大苦戦を強いられた。1勝1分で迎えたホームの韓国戦で痛恨の逆転負けを喫し、終了間際に追いつかれたアウェーのカザフスタン戦後には監督の加茂周が電撃解任。コーチだった岡田武史にバトンは受け継がれたが、続くウズベキスタン戦もドローに終わっていた。
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この時点で韓国がグループ首位を独走し、2位のUAEを3位の日本が勝点1差で追う展開。10月26日、ホームで迎え撃ったのは、そのUAEだった。呂比須ワグナーのゴールで先制したが追いつかれ、1-1のままゲームは残り15分に差し掛かる。
そのときだった。相馬が城彰二との交代を命じられたのは――。
クロスの供給源が自分ではない。
「1点を取りに行かなきゃいけない場面で、僕は代えられているんです。しかも、左サイドバックに名波が入った」
1点が欲しい状況で、FWの人数を増やしてパワープレーを仕掛けるのは定石である。しかし、クロスの供給源として指名されたのは、サイドを本職とする自分ではなく、ボランチの選手だったのだ。悔しくないはずがない。
だが、相馬には、仕方がないという想いもあった。
「UAE戦前のトレーニングでの感触はすごく良かったんです。でも、試合ではダメだった。試合のあとだったかな、岡田さんにも『すごく良くなってきていたのに、あかんかったな』と言われて、その通りだと思ったし、次は(スタメンは)ないかなって」