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監督・相馬直樹の胸に刻まれた、
ジョホールバルの歓喜と岡田采配。 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byAFLO

posted2018/12/28 11:00

監督・相馬直樹の胸に刻まれた、ジョホールバルの歓喜と岡田采配。<Number Web> photograph by AFLO

日本中が沸いたジョホールバルの歓喜。岡田武史のもとで戦ったメンバーは、相馬直樹を含めて監督になった者も多い。

共感する、監督としての心境。

 両肩にのしかかっていた重りを外した相馬は、この試合で2ゴールに絡む活躍を見せると、続くカザフスタン戦でも中田英寿のゴールをアシストして完全復活を遂げるのだ。

 韓国戦前の岡田の心境について相馬が知るのは、しばらく経ってからのことだ。

「あとで岡田さんのインタビューを見たんだけど、結果が出なかったからといって、自分がベストだと思った選手を、俺が信じなくてどうする、というようなことをおっしゃっていたんです」

 2005年の現役引退後、町田ゼルビア、川崎フロンターレの監督を経て、現在、再び町田ゼルビアを指揮する相馬は、そのときの岡田の心境に共感できるという。

「自分が何を信じるか。スタメンの選手たちは、そこに至るまでの積み重ねで信頼を勝ち得てきたわけだし、最後になるかもしれない試合で、自分の信じてきたメンバーを送り出すという岡田さんの決断は、今はすごく分かる」

「岡田さんはあのとき……」

 こんなとき、岡田さんならどんなことを言うだろう、どう振る舞うだろう、と考えることもある。

「リーグ戦で負けが先行したときに、岡田さんはあのとき、ああしていたなとか……。でも、フロンターレ時代には8連敗していますから(笑)。あの頃はまだ、そういうアプローチができなかったということ。でも、今ならできるんじゃないかなって思う」

 岡田が選手たちを信じた韓国戦のあと、実際に、日本代表の星は変わっていく。アウェーでライバルを下した選手たちは生気を取り戻し、カザフスタン、イランに連勝し、初のワールドカップ出場を決めた。

 あのときの岡田のアプローチ、決断が、指導者となった相馬の胸には刻み込まれている。

Numnre968・969号「スポーツブーム平成史 熱狂を超えろ。」では、「ジョホールバルの大胆不敵。」と題して、初のW杯出場を決め、日本サッカー界に大きな歴史を刻んだ1997年「ジョホールバルの歓喜」を振り返っています。相馬直樹に加え、当時主将を務めていた井原正巳、そして同年9月に帰化し、代表入りを果たした呂比須ワグナーの証言を中心に構成し、当時、日本代表を指揮した岡田監督の采配にも迫りました。
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