Jをめぐる冒険BACK NUMBER
監督・相馬直樹の胸に刻まれた、
ジョホールバルの歓喜と岡田采配。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAFLO
posted2018/12/28 11:00
日本中が沸いたジョホールバルの歓喜。岡田武史のもとで戦ったメンバーは、相馬直樹を含めて監督になった者も多い。
UAE戦でのドローと覚悟。
相馬が自身のスタメン落ちを覚悟した理由は、ほかにもあった。
グループ2位の座を争うライバルと1-1のドローを演じたことで、自力突破の可能性が消滅した。残り2試合、日本が連勝を飾ったとしても、UAEが全勝すれば、日本がUAEを上回ることができない。
この状況に一部のサポーターが暴徒化し、選手バスに向かってパイプ椅子が投げつけられた。
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実際には、我らが代表チームに怒りをぶつけようとしたのではなく、UAEがさんざん時間稼ぎをしたにもかかわらず、アディショナルタイムを取らずに試合を終わらせた審判団に抗議しようとしたサポーターも少なくなかった。いずれにしても、約5000人のサポーターが関係者出入口付近に集まり、国立競技場は大混乱に陥った。
流れを変えるには、何かを変える必要があった。
だから相馬は、スタメンが変更されてもおかしくない、その中に自分が含まれていても不思議ではない、と感じていたのである。
あの韓国戦で吹っ切れた。
解散したチームは翌日、横浜のホテルに再集合した。その日の夕方、トレーニングが始まると、相馬は岡田のまとう雰囲気に変化を感じた。「闘えない選手はいらない」と宣言し、実際にひとりの選手をチームから外した厳格さが、そこにはなかったのだ。
「チームをもう一度、厳しい言葉で引き締めるかと思ったら、そういうのが一切なかった。トレーニングも韓国対策とかではなく、レクリエーションゲームだったんです。こういう状況だからこそ、リラックスさせたほうがいいと思ったのか……」
それだけではない。11月1日、アウェーの韓国戦のスタメンは、本田泰人に代えて山口素弘が戻り、出場停止だった井原正巳が復帰した以外、変化がなかった。
「自分にとっては、あの韓国戦でようやく吹っ切れたところがあった。ここで負けたら帰れないだろうな、という状況だったんだけど、スタメンで起用してもらって。命までは取られないだろうと開き直れたというか、自分の良さを出してダメだったらしょうがないなって」