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W杯ベルギー戦、2点リード後の痛恨。
手倉森誠「いつもあった謙虚さが」
posted2018/12/30 07:00
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
Kazuo Fukuchi/JMPA
激動の4年間のすべてを知る男である。
ハビエル・アギーレ、ヴァイッド・ハリルホジッチ、西野朗の3人の監督が采配をふるい、強化を司る技術委員長の職に3人が就いた。サッカー協会の会長も交代するなかで、手倉森誠コーチは日本代表のスタッフであり続けた。
'14年から'15年10月までは五輪代表監督との兼務で、その後は五輪代表の活動に専念する時期もあったが、'16年9月に代表コーチに復帰した。あの日、あの時、あの場所で、何が起こったのかを知る数少ない人物である。
アギーレとハリルの功績とは。
――ベスト16という結果を、手倉森コーチはどのように受け止めていますか?
「ブラジルW杯後に日本代表のコーチになり、4年間の構築というものを意識した。4年に一度のW杯に出場するために、どの国も前回のW杯本大会や予選の戦いを検証して、自分たちにできるものをスタイルにして挑んでいく。アギーレさんは日本サッカーをすごくリスペクトしていた。『私の母国メキシコと日本は、世界の中堅国だ。これから世界を驚かせる仲間だ』と。ブラジルW杯の日本を批判することなく、同じレベルの人間として歩み寄る指導者だった」
――サッカーの方向性にも共通点が?
「強豪国は1本のパスで相手を仕留めるが、我々は2本で仕留めなければいけない。強豪国にはひとりで仕留められる選手がいるけど、我々は複数の選手でやっていかないといけない、と。継承すべきものはしていく、というスタンスだった。それだけに、'15年2月の契約解除は残念だった」
――ハリルホジッチ監督の指揮下では、継承が薄れた印象は否めません。
「最初に言っておきたいのは、彼の功績もたくさんあるということ。メディアでもよく取り上げられた選手の体脂肪率は、海外組と国内組で数値が大きくかけ離れていた。それは意識の問題で、全員が高い意識で取り組まなければ世界で勝てない、というのはハリルさんの言うとおり。
主力クラスがクラブで試合に出られなければ、若い選手を思い切って起用したマネジメントも納得できた。数多くの選手を招集し、競争意識を高めたのもハリルさんの功績だと思う」