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ルメールが語る'05年の有馬記念。
最強ディープにあった「隙」とは。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byKatsutoshi Ishiyama
posted2018/12/06 16:30
圧倒的な人気のディープインパクトに勝利したルメールとハーツクライ。その戦略は綿密なものだった。
素質はあるが神経質。
鎌田がハーツクライと出会ったのは'03年。同馬がデビュー前に入厩してきた時だった。
「厩舎に入ってきた当初はいわゆる“ゆるい”体つきでした。細くて、イライラする面もある神経質な馬だったので、『果たしてどのくらいやれるかな?』という思いで調教していましたね」
ところが鎌田の想像以上に良い馬であることが分かっていく。翌年1月の2000mの新馬戦を難なく勝つと、3戦目にはオープンの若葉Sも制し、皐月賞に駒を進めたのだ。
「そこは完敗(14着)だったけど、その後、京都新聞杯を勝って、ダービーが2着。秋以降が楽しみになりましたね」
しかし、秋になってもイレ込む気性は変わらなかった。馬房でつないでいても羽目板を蹴る、噛みつこうとするなど、常に神経を尖らせていたという。
「そんな性格のせいもあってなかなか本格化してくれませんでした」
結局、3歳の秋は菊花賞7着、ジャパンカップ10着、有馬記念は9着に終わる。
古馬になってからも春の天皇賞は5着、宝塚記念では直線、猛然と追い込んだが、先に抜け出したスイープトウショウを差し切れず、2着に惜敗していた。
天皇賞当日に初めて乗って。
4歳の秋、ついにハーツクライは充実の時を迎える。放牧から厩舎へ戻った姿をみて、鎌田は驚いたのを覚えている。
「精神的にどっしりして、体のゆるさも感じさせなくなっていたんです」
そして放牧後の初戦となる秋の天皇賞で、調教師の橋口がその鞍上を任せたのが若きルメールだった。
「当時、彼は橋口厩舎をメインに調教に乗っていました。半信半疑ではあったけど、これまでと違う面を引き出してくれれば良いな、と。天皇賞かジャパンカップ、どちらかを勝って欲しいと考えていました。なぜか? 有馬にはディープインパクトが出てくるからですよ」(鎌田)
ルメールはハーツクライとの出会いをこう振り返る。
「初めて乗ったのは天皇賞の当日でした。レース前、(馬主で社台ファーム代表の)吉田照哉さんから『スタートが遅いので前半は後ろからになるけど、いつものことだから』と言われたのを覚えています」
ところが、ハーツクライは絶好のスタートを切り、ルメールは「『話と違う!』ってビックリしました」と笑う。