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ルメールが語る'05年の有馬記念。
最強ディープにあった「隙」とは。
posted2018/12/06 16:30
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Katsutoshi Ishiyama
国内で敗れた唯一のレース、2005年の有馬記念。
その波乱の裏には、勝ち馬の鞍上にいた男の
緻密な分析と迷いのない騎乗があった。
本日発売のNumber967号、ハーツクライを導いた名手、
クリストフ・ルメールのインタビューを全文掲載します!
今年、秋のGI戦線で圧巻の4勝(秋華賞、菊花賞、秋の天皇賞、ジャパンカップ)を挙げ、リーディング争いでも首位を独走するクリストフ・ルメール。
いまや日本の競馬界を牽引するトップジョッキーにとって、日本での転機となった「忘れられない」騎乗がある。今から13年前の年末、「日本競馬史上最強」とも称されるディープインパクトを破ったレースだ。
ルメールが、当時、抱いていた心境をこう振り返る。
「もちろん、ディープインパクトが強いことはよく分かっていました。ですが、自分で色々考えた結果、付け入る隙はある。こういう競馬ができれば逆転もできるんじゃないか?
レース前、そういう結論に達していたんです」
当時GI未勝利のハーツクライ。
2005年、有馬記念。
この年、武豊を背に、シンボリルドルフ以来21年ぶりに無敗でクラシック三冠を制したディープインパクトは、ファン投票で当然のように1位を獲得。初めて古馬と戦うグランプリにおいても、レース当日の単勝オッズは1.3倍と、圧倒的な支持を受けていた。
当時26歳のルメールは短期免許で来日しはじめて4年目。この年の秋、天皇賞からジャパンカップ、そして有馬記念で鞍上を任されたのが、ハーツクライだった。
ハーツクライは、ディープインパクトのひとつ上の世代。前年の日本ダービーで2着に入るなど、その潜在能力の高さは知られていたが、秋の時点でGIは未勝利。オッズも4番人気で17.1倍と、あくまで有力馬の一角という評価にとどまっていた。
他馬の調教師や騎手の中には戦う前からディープインパクトに白旗を挙げる人も多く、発走前の中山競馬場に波乱の兆候はまったく見当たらなかった――。
ハーツクライの調教を担当していたのは鎌田祐一だ。鎌田は関東で騎手デビューした後、関西へ移籍。橋口弘次郎厩舎の開業に合わせ、同厩舎で調教助手となった。以来、橋口厩舎一筋。師の片腕として天皇賞馬レッツゴーターキン、菊花賞馬ダンスインザダークなどを育ててきた。