“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
新潟・早川史哉が知る中島翔哉伝説。
凄まじいサッカー熱と、かわいさ。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/10/18 07:00
2011年のU-17W杯期間中、笑顔を見せる中島翔哉(中央左)。その右隣が早川だ。
海外では当たり前のことだが。
早川の言葉を思い浮かべながら、中島に「変わらずにいるということは、簡単なようで難しいことだと思います。年齢を重ねても、環境が変わってもずっとサッカーを楽しむスタンスを貫き続けることは凄いこと」と返すと、中島から、すぐにこう返ってきた。
「僕は、昔より今の方がずっとサッカーが楽しいですから……そういう意味では僕も変わったと思いますよ(笑)」
尖った男が丸くなった。
筆者もこの中島のコメントを聞いて、早川の語ったことにやっと納得ができた。「サッカーを楽しむスタンスは変えない!」ということではなくて、「毎日変化(成長)していくからサッカーは楽しい!」ということだったのだ。
「いま思うと、翔哉のような尖り方は、海外では当たり前のことかもしれないけど、日本社会という社会の枠組みを考えたら、相当異質なものだったんだと思う。
こうやって代表まで登り詰めて、海外で活躍している姿を見ると、小さい時からの、あの尖り方があっての今なんだろうなと思います。今は、ようやくその尖り方が当たり前の環境(ポルトガル)に辿り着けたからこそ、肩の力も抜けて、良い意味でノビノビとやれているんだと思います」(早川)
もしかすると10代の頃の中島は、自分が異質に写ってしまう日本という枠組みを敏感に感じ取って、敢えて「染まらないように」必死に「尖って」生きていたのかもしれない。
それが異質に写らない環境へ行ったことで、「染まらないぞ!」という余計な力が抜け、丸くなったのかもしれない……。
素直に伸び伸びとサッカーができるようになった中島翔哉。今、彼はまさに海の向こうの世界でサッカーをすることで、「水を得た魚」になったのだ。少なくとも、早川史哉の目にはそう写っていた――。