“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
新潟・早川史哉が知る中島翔哉伝説。
凄まじいサッカー熱と、かわいさ。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/10/18 07:00
2011年のU-17W杯期間中、笑顔を見せる中島翔哉(中央左)。その右隣が早川だ。
12歳の中島がドリブルで……。
中島は、早川のサッカー人生の中でも、特に大きな衝撃を受けた選手の1人だった。
今から11年前の2007年、早川が13歳の時だった。
中学生だった彼は日本サッカー協会のエリートプログラム(U-13・U-14)の合宿に参加した。その時、1つ年下だった12歳の中島も、そのメンバーに選ばれていた。
「その合宿中に、平塚競技場(現・Shonan BMWスタジアム平塚)での湘南ベルマーレvs.セレッソ大阪の試合をみんなで観に行ったんです。
スタジアムに到着して、みんなでユース代表のエンブレムが入ったジャージを着て歩いていたんですが、翔哉はなぜか1人だけ小さいボールを持っていたんですよ。『何でボール持っているんだろう?』と疑問に思っていたら……突然、一般の観客の人達がたくさん歩いている通路で、その小さなボールを使ってドリブルし始めたんですよ!
前からどんどん来る観客の人たちをドリブルで次々とかわしていくんです(笑)。もう衝撃しかありませんでしたね。人でごったがえす通路でいきなりドリブルを始めること自体予想外ですし、普通では考えられない行為だったし……まぁ、そのドリブルを僕はじっと見ていたのですが……また中島がめちゃくちゃ上手いんですよ(笑)。
『なんだコイツ! どうかしてるな!』と思ったのと同時に、『めちゃくちゃ上手い!』という感想になって(笑)。しかも、それを笑顔でめちゃくちゃ楽しそうにやってるんですよ。すぐに『こんなにサッカーが好きで好きで仕方が無い奴が世の中にはいるんだ!』と思ったんです」
人生すべてがサッカーなんだ。
そこから早川は翔哉に大きな興味を抱くようになった。
「僕もサッカーが大好きですが、あんな突拍子も無いことをして、あんなに楽しそうにサッカーをする翔哉のことを、とにかく『良い奴だ!』と思ってしまったんですね(笑)」
その後、U-15、U-16、U-17日本代表で一緒になってプレーをしていく中で、2人には大きな絆が生まれた。
「年代別代表で一緒になると、結構一緒にいることが多かったですね。U-17W杯の期間中もバスで隣同士だったし、本当にいろんな話をしました。でも……今から思い返すと、U-16の時も、U-17の時も常に話題はサッカーだったんですね。
その時期って男子としては多感な頃でもあるので、プライベートな話をする選手も多いんですが、翔哉はもうすべてサッカー(笑)。それに暇さえあればサッカーの映像を……良くもまぁ飽きないなぁと思うくらいずーっと見てた。それ以外の時間でも、ただただひたすらボールを触っているんですよ。
もうその年齢にして人生すべてがサッカーなんだな、と周囲の誰もがハッキリと分かるくらいサッカーに対する情熱が凄まじかった。もちろん、他のみんなも凄かったんだけど、その中でも翔哉は飛び抜けていたと思います」