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豪華施設、超速昇格、セルジオ越後。
ベルマーレのルーツは伝説の社長。

posted2018/10/11 11:00

 
豪華施設、超速昇格、セルジオ越後。ベルマーレのルーツは伝説の社長。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

クラブ創設50周年を記念した黄色と緑のユニホーム。湘南ベルマーレにとって、これまでの歩みを凝縮した一戦だった。

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川端康生

川端康生Yasuo Kawabata

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J.LEAGUE

 知らずに来場した人は面食らったかもしれない。

 ピッチに現れた選手たちがまとっていたのは黄色のシャツに緑のパンツ。ジェフ千葉ではない。舞台は平塚競技場(Shonan BMWスタジアム平塚)。湘南ベルマーレである。クラブ創設50周年を記念して、その前身「フジタ」の復刻ユニホームで登場したのだ。

 フジタが日本リーグの名門だったことはご存知の通りだろう。といっても「黄色と緑」に懐かしさを覚えるのはすでにオールドファン。黄金期は1970年代後半から'80年代にかけてだから、強烈に記憶に刻んでいるのは50代以上ということになるだろうか。

 とにかく1977年からの5年間で日本リーグを3度制し、天皇杯も2度優勝。日本サッカーに一時代を築いたチームだった。

 もっとも「50周年」は、そのフジタよりもさらに先祖返りが必要だ。ベルマーレの前身であるフジタの、そのまた前身である「藤和不動産サッカー部」。その創部から数えて50年、それが今年なのである。

創部4年で県4部から日本リーグ。

 ところで、この藤和不動産。知っている人はほとんどいないのではないか(セルジオ越後の名前を出せる人はかなりのサッカー通!)。

 しかしこのチーム、面白いのだ。面白いだけでなく、極めて先駆的。見方によっては、早すぎた異端児……。

 そこで、この機会に藤和不動産サッカー部について書いておきたいと思う。

 いまから50年前――終戦から20余年が経ち、日本が戦後復興から経済発展へと踏み出した頃、その象徴として開催された東京五輪で日本代表がベスト8に勝ち上がり、翌年には日本初の全国規模のリーグ戦「日本サッカーリーグ」を発足させ、サッカー人気が急速に高まっていた頃、栃木県の那須高原で旗揚げした伝説のチームである。

 常識外れのスピードで日本サッカーのピラミッドを駆け上ったチームだった。

 創部は1968年。そこからわずか4年で日本リーグまで駆け上がった。

 ちなみに結成年に参戦したのは栃木県4部リーグ。トップリーグである日本リーグから数えて6部に相当するカテゴリーである。にもかかわらず4年で到達した。大勝の連続だったからだ。

【次ページ】 21点取った試合もあったらしい。

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