スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
日本の現実主義とエムバペの快楽。
職人技も超能力もサッカーの養分だ。
posted2018/07/06 16:30
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
Kazuo Fukuchi/JMPA
《サッカーは、1対1のゲームではなく、11対11のゲームだ》
日本がベルギーにひと泡吹かせそうになったあの試合のあとでは、言い古されたフレーズが新鮮に響く。11対11ならば、1対1よりも化学反応の起こるケースが増える。偶然の作用する可能性も大きくなる。
いままで多くの人たちが口を酸っぱくして説き続けてきた「コレクティヴ(集合的)なサッカー」を、日本はあの試合でほぼ実現することができた。やればできるじゃないか、と思った人は多かったにちがいない。
個の力で勝ち目のないベルギーに対して、日本は組織力と連係プレーで勝負を挑んでいった。球際では、1対2や1対3のデュエル。
攻守を切り替える局面では、同時多発的な動きでの対応。これが継続されれば、個の体力や個の技術が劣っていても、互角に戦うことができる。ただし、体力や気力は酷使せざるを得ないから、消耗度も半端ではない。
「頭を使った謙虚なサッカー」を。
勤勉で献身的という日本的美点は、ほぼ最大限に発揮された。もうひとつの美点となりうるはずだった「想像力と職人技」も、かなりの水準まで追求されたといえそうだ。
柴崎岳や乾貴士以外にあと2人ほど想像力の発達した選手がいて、原口元気や長友佑都の体力がもう少しつづいていたら、最後の30分間は別の戦いができたかもしれない。
日本のサッカーは、今後とも「11対11」の戦いを追求していくことになるだろう。頭を使って勤勉に動き、決定的な局面では相手が予期していなかった奇想もしくは奇策を繰り出す。ここが勝負だ。
スカウティングや分析の精度をさらに高め、「頭を使った謙虚なサッカー」を90分間つづけられるなら、体力や足技が劣っていても、強豪国に五分の戦いを挑むことができる。