One story of the fieldBACK NUMBER
末席から見た星野さんと目玉焼きと
レモンティー、そして、落合さん。
posted2018/01/13 17:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Kyodo News
まだスポーツ新聞の駆け出し記者だった頃、私はいつもホテルのロビーや喫茶で星野さんを待っていたような気がする。
当時、中日ドラゴンズの監督だった星野仙一さんは沖縄でのキャンプ中でも、東京への遠征中でも、ほとんど毎日、番記者たちと朝食をともにして、夕食後にはお茶を飲んだ。
私のような駆け出しは、いつロビーに降りてくるかわからない星野さんを待ち、やってきたら先輩たちに知らせるのが役目だった。いざ、喫茶に入ると星野監督が上座に、それを囲んで各紙のキャップ陣が座り、中堅クラスがそのまわりに座り、私のような下っ端は星野さんから遠い隅っこの席で会話を聞いているだけだった。
最初に会った日に名刺を出して挨拶はしたものの、監督と会話した記憶はほとんどなかった。
星野さんは新聞社の事情をよくわかっていて、トップネタになりそうな話をするので、記者たちにとって朝晩の「お茶会」は1日のうちで最も重要な取材の場だった。ただ、今思えば、末席の私にはそういう意識が希薄だったような気がする。
星野さんはいつも朝食に目玉焼きを食べるのだが、その時、必ず手の平を上下にして「オーバー(両面焼き)」と注文した。コーヒーではなく、レモンティーを飲んだ。私はそれを眺めながら、なぜ、いつも同じものを頼むのだろうかとか、なぜ、星野さんはいつも大勢の人といるのだろうかと考えたりしていた。
実際に星野さんは、グラウンドはもちろん、細かな移動や、散歩や食事の時でさえ必ず何人もの人と一緒だった。
ところで監督は僕の名前を知っていたのだろうか?
あれは夏の休暇を終えて、仕事の現場に戻った日だったと思う。私はその日もやはりファンや記者たちでごった返すホテルのロビーで星野さんを待っていた。すると、人ごみをかき分けるようにロビーに現れた星野さんが私の顔を見るなり、「おお! お前、久しぶりやな。どこ行っとったんや」と笑った。
自分が何と返答したのか覚えていないし、そのまま星野さんはタクシーに乗り込んでどこかに行ってしまったのだが、そのたった一言が妙に嬉しかった。ただ、同時にその笑顔に底知れない感じがして、こんなことを思った。
ところで監督は僕の名前を知っていたのだろうか?