One story of the fieldBACK NUMBER
末席から見た星野さんと目玉焼きと
レモンティー、そして、落合さん。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKyodo News
posted2018/01/13 17:00
野球界にとって、星野仙一さんの存在感は特別なものだった。その空席が埋まることはこれからも決してない。
まったく正反対の、落合監督がくれた嬉しさ。
その後、落合博満さんが中日の監督になった。落合さんは星野さんとはまったく正反対の人だった。朝晩のお茶会もやらなかったし、どこに行くにも、ほとんどひとりだった。大勢の人がいる中で話しかけても、答えてくれることはほとんどなかった。
ただ、ある時、どうしても聞きたいことがあって、落合さんの自宅前で待っていた。すると、しばらくして玄関を出てきた落合さんは私を見つけるなり、周囲を見まわしてこう言った。
「お前、ひとりか? じゃあ乗れよ。俺はひとりで来る奴にはしゃべるよ」
確か車で買い物に行くところだったと思う。それに同行しながら、野球の話、落合さんの身の上話、自分の身の上話をしたような気がする。私はその時、星野さんに声をかけられた時とはまったく別の嬉しさを感じていた。
そして、落合さんが私の名前を知っているかどうかなんていう心配はこれっぽっちも浮かんでこなかった。
どちらが正しいのだろうと考えたこともあったが。
星野さんと落合さんは本当に正反対だった。
星野さんは怒って殴って思いを伝えたし、落合さんは殴ることを極端に忌避し、無言をもって気持ちを伝えた。
星野さんが好きな人は大抵、落合さんのことは嫌いだったし、星野さんを敬遠する人は逆に落合さんを理解した。
私の場合は星野さんを見ていたおかげで、落合さんがなぜ大勢の前では下を向いて歩いたり、独りでいることを好むのかが少しだけわかる気がした。
指揮官として、人としての極端な対照を目の当たりにしながら、どちらが正しいのだろうと考えたりしたこともあった。
でも、年を経るにつれて、良し悪しとか、善悪とかいうものを薄っぺらく思うようになってきた。生の人間の生き様の前では、そんなことはほとんど意味を持たないと実感するからだ。頑なだったり、偏っていたりする人のなんと魅力的なことか!
星野さんが亡くなったと聞いた時、ふと思った。あの時、星野監督は私の名前を知っていたのだろうか。
いつもあんなにたくさんの人に囲まれていた星野さんは、独り逝く時、寂しくはなかったのだろうか。