プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
“引退宣言”を越えた“生前葬”!
アントニオ猪木はどう死ぬべきか。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2017/10/25 11:00
これまで多くの人に「元気」を分け与えてきた猪木。まるで「不死」のごとく、輝く存在なのだが……。
現役時代の猪木は、どこでも死ぬ覚悟で戦っていた。
猪木がまだ現役のプロレスラーだった'80年代の頃、ふたりきりで、こんな夢のようなことを話したこともあった。
猪木はリュックサックを1つだけ背負って戦いの旅に出るのだと言う。そしてその旅の途中で出会った男たちと戦っていくのだ、と。
リングなどいらない。
真夏の灼熱の太陽が男たちの筋肉から流れる汗を照らす。
戦いは月明りだけの夜のこともあった。
草原でも、砂漠でもよかった。場所は選ばなかった。
ルールなど何もない。
手を合わせて、呼吸で感じ取れるものだけで戦う――というものだ。
その戦いがいつ始まっていつ終わるのかもわからなかった。勝者は立ち上がると、身支度を整えて、また歩き始める――のだという。
「それは、何のための戦いなのか?」と猪木に聞いても答えなどは返ってこなかった。たぶん「戦ってみたいから」だけだったのだと思う。
現役時代、猪木は常にそんな思いを抱いて戦っていたのである。
猪木の戦いの旅も、いつかは……終わる。
ただその時、そんな果てしも無い猪木の“戦いの旅”にも、いつか終わりのときが来るのだということも理解できた。
猪木がもし戦いに満足できたら、あるいは逆に限界を感じたら、次を求めることなく、「砂漠の中に静かに消えていく自分を想像している」とも言っていた。
これが……猪木の理想とした生き方であり死に方なのかもしれない。