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“引退宣言”を越えた“生前葬”!
アントニオ猪木はどう死ぬべきか。 

text by

原悦生

原悦生Essei Hara

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photograph byEssei Hara

posted2017/10/25 11:00

“引退宣言”を越えた“生前葬”!アントニオ猪木はどう死ぬべきか。<Number Web> photograph by Essei Hara

これまで多くの人に「元気」を分け与えてきた猪木。まるで「不死」のごとく、輝く存在なのだが……。

エジプトやメキシコのピラミッド前で戦う計画も。

 また別の、現役時代の時の話。

 とにかく戦いの場を考える時に、その「スケールの大きさ」だけに頼って、私は戦いの場所としてエジプトのギザのピラミッドや、メキシコのテオティワカンのピラミッドはどうか、と提案してみたことがあった。

 ライトアップされたそれらのピラミッドの前で猪木が戦う――というプランだった。だが、これはあっけなく猪木に否定された。「そこは、お墓だから」というのが理由だった。

 そういった古代遺跡の中で、猪木が唯一興味を示したのはローマのコロッセオだけだった。

 かつてそこで、剣闘士や猛獣たちが命をかけて戦っていた。負けは死を意味した。生きるためには殺すしかない場所である。

 '80年代の終わり頃、一緒にコロッセオを訪れた時、「ここは血の匂いがする」と猪木はポツリと呟いた。猪木はそこで戦う自分の姿を、リアルに思い描いているように見えた。

 まるで小説のストーリーのようだが、猪木は真剣にコロッセオでの大会を考えていた。実際に、とても具体的な形で、その時の猪木の頭にはプランがあったようだ。だが当時、コロッセオをそういう商業的な目的で使う許可を取ることは非常に難しかった。

 しばらくすると、コロッセオはハリウッド映画の撮影でも使用されたりもしたのだが。

東京ドームのコロッセオも国技館の生前葬も小さ過ぎる!?

 結局猪木は、1998年4月4日に東京ドームで行われた引退試合の後、そのドームに用意された「コロッセオ」の中へと消えていった。

 時は流れて――。

 2017年10月21日、両国国技館で行われた「生前葬」と銘打ったイベントは、残念ながらそれらの壮大なプランやアイディアをしのぐものではなかった。

 自然や野外や歴史のスケールに勝てるものはないのだから。

【次ページ】 「生前葬」をしながら……再び元気になる猪木。

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