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全日本プロレス復興の要因は……?
秋山準社長が重んじる“基本と自由”。

posted2017/10/28 08:00

 
全日本プロレス復興の要因は……?秋山準社長が重んじる“基本と自由”。<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

世界タッグ戴冠直後の秋山と大森。同期の2人はデビュー25周年にして快挙をなした。

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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Norihiro Hashimoto

 全日本プロレスに対して抱く印象は、人によって大きく違うのではないか。

 創設者のジャイアント馬場にしても、全盛期とコミカルな試合に登場していた晩年の姿には隔たりがある。

 1970~80年代にはミル・マスカラスやザ・ファンクス、NWA世界王者らが続々と来日。そんな豪華な外国人メンバーが全日本の魅力だと言う人もいるだろうし、別のファンにとってはジャンボ鶴田と天龍源一郎の日本人ライバル対決の印象が強いかもしれない。30代後半から40代のファンは、三沢光晴をはじめとしたトップ選手たちが繰り広げた“四天王プロレス”が忘れられないだろう。

 こうした時代は、しかし今年で旗揚げ45周年を迎えた全日本の歴史において、あくまで前半なのである。

 その後は三沢たちのノア旗揚げがあり、新日本から移籍してきた武藤敬司が舵取りをした時代があり、その武藤も今は全日本を離れている。

社長就任した秋山の急務は、老舗の立て直しだった。

 現在、全日本プロレスの社長(興行会社オールジャパン・プロレスリングの社長)を務めているのは、選手兼任の秋山準だ。

 アマチュアレスリングから転身して鳴り物入りでデビュー、三沢とともにノア旗揚げに参加してトップレスラーとなった秋山は、巡り巡って“馬場さんの後継者”になっている。

 ノア時代にも全日本に参戦していた秋山は2013年に所属復帰、2014年に社長に就任した。

 当時のオーナーがファンからも選手からも反感を買い、団体のイメージが悪くなっていた中で武藤一派が離脱。傾いた老舗を立て直すことが、秋山の仕事だった。

【次ページ】 秋山&大森の戴冠は“快挙”と言っていい。

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