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オーストラリア代表、なぜ弱体化?
移民、育成制度、リーグの堕落……。

posted2017/09/20 11:00

 
オーストラリア代表、なぜ弱体化?移民、育成制度、リーグの堕落……。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

ワールドカップの予選、本大会を通して初めてオーストラリア代表に勝ったハリルジャパン。その評価が揺らぐことはないのだが……。

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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Takuya Sugiyama

 初めてオーストラリアU-20代表を見たのは、'95年のワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)だった。ナイジェリアが開催を返上して急きょカタールで開かれた大会は、中田英寿、松田直樹、奥大介、森岡隆三、山田暢久、安永聡太郎らを擁する日本がアジア予選を初めて突破して世界大会に参加し、ベスト8(ブラジルに1-2で敗退)に進出した歴史的な大会として知られている。そして、オセアニア代表として出場したオーストラリアの印象も強烈だった。

 その2年前の'93年に自国で開催されたワールドユース選手権で4位に入っていたオーストラリアは、この'95年の大会でもエースのマーク・ビドゥーカを中心に、スピードとディシプリンに溢れる攻撃で日本同様にベスト8に進出していた。

「巧い、強い、速い」

 彼らのことをそう表現したのは、同じスタンドで試合を観戦していた田中孝司・ユース代表監督だったか、それともコーチを務めていた山本昌邦だったか――。

 ビドゥーカをはじめ、ハリー・キューウェルやマーク・ブレシアーノなど、当時のオーストラリアはヨーロッパのトップクラブで活躍する人材を輩出するタレントの宝庫だった。

 たしかに今のオーストラリアも、現アジアチャンピオンであり、アジア最強国のひとつ――日本のよきライバルでもある。だが選手の質の低下は著しく、オーストラリア代表スタッフたち自身が認めるように、個人レベルではビドゥーカの時代とは比べるべくもないという。

 いったいオーストラリアで何が起こったのか?

 同地在住が長く、ロシアワールドカップ・アジア最終予選ではオーストラリア代表のスカウティングも担当した今矢直城(早稲田ユナイテッド監督)に現状を聞いた。

ヨーロッパからの移民が激減したことが弱体化の遠因!?

――オーストラリアは、どうしてサッカーのレベルが下がったでしょう?

「単純に育成じゃないかと思います。それと移民の問題も。以前はヨーロッパからの移民が多かったので」

――東欧系とかギリシャ系とか、マイナーなヨーロッパの国からもたくさん来ていた。

「ヨーロッパ系がそんなに減っているわけじゃないけど、中国やインドなどお金のある人たちが入って来た。オーストラリアは税金で稼ぐので、税金をたくさん払ってくれる人を歓迎するんです。ヨーロッパの景気が良くない状況で、ヨーロッパからの移民がオーストラリアに来ることができないんじゃないでしょうか。昔は貧乏でもオーストラリアに住めた。オーストラリアン・ドリームじゃないけれど、自分で事業を立ち上げたり、成功した人もたくさんいる。それがひとつ」

【次ページ】 日本がモデルにした程の国主導の育成システムが……。

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