ぶら野球BACK NUMBER
“巨人史上最強助っ人”の素顔。
ウォーレン・クロマティを読む。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byMakoto Kenmisaki
posted2017/07/27 07:30
名前を聞いたら誰でも思い出すであろう、あの人懐っこい笑顔――チューインガムも、その象徴だった。
助っ人選手が日本に受け入れられる瞬間。
これだけ同僚たちについて赤裸々に綴ってもあくまで暴露本ではなく、『さらばサムライ野球』が野球本史上でも屈指の名著と今も語り継がれる理由はなんだろうか?
それは矛盾した書き方になってしまうかもしれないが、野球以外の描写が群を抜いて素晴らしいからだ。
良質な野球本を書きたければ、野球の向こう側を丁寧に掘り下げる必要がある。野球をするマシンではなく、ひとりの人間の人生を描くということだ。
クロマティは'88年6月に死球を受け左手親指骨折、戦線離脱してしまい来日以来5年目で初めて夏に自由な時間ができる。この時、趣味の音楽を嗜み、様々な飲食店を食べ歩き、まるで観光客のように東京の街を楽しむことで、ニッポンの素晴らしさを再発見することになる。野球とベースボールの比較は、やがて日米文化論へと辿り着くわけだ。
日本滞在期間が長すぎて、大リーグに帰れなくなった男
来日当初は今すぐにも帰りたいなんて嘆いていた男が、アメリカから訪ねて来た友人がレストランでダイエット・ペプシを注文するのを見て、なぜもっと日本的なものを試そうとしないのだろう。それじゃあまるで日本人がアメリカで寿司や蕎麦を食べるようなものじゃないかと疑問を呈す。そして、自ら日本語で緑茶を注文してみせるのだ。
あれだけ拒絶していた街が、気が付けば自分の居場所になっていく体験。
1年もつか心配していたら、結局7年間も日本でプレー。
年月がたちすぎて、今の俺は大リーグを好きになれる自信はない。やがて、クロマティはオフシーズンにマイアミの自宅で六本木の風景がテレビに映るのを観て、すぐにでも飛行機に飛び乗って東京へ戻りたくなる。ちきしょう、あの街が肌にしみついちまったぞ……。