フランス・フットボール通信BACK NUMBER
“伝説のセレソン”ジュニオールに聞く、
スポーツとミュージックの幸福な関係。
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph byAlex Bensimon
posted2017/07/01 09:00
パンデイロを持ったジュニオール。音楽とサッカーは彼にとって切っても切れない関係にあった。
「音楽にはロッカールームに調和をもたらす力がある」
「最初は地元トリノの試合の後で、家族や近親者たちとその居酒屋を訪れるだけだった。そのうち親しいチームメイトも一緒に来はじめて、最後はチーム全員がその居酒屋に集まるようになった。グループの絆が深まって、音楽のおかげで僕らは思いがけない結果を得ることができた。お互いの気持ちがひとつになって、まるでひとつの大きな家族のような連帯感を持つようになった。そうして'85年には、リーグ2位という成績を残した。この30年間で最高の成績を、僕らは得ることができたわけだ」
――音楽にはそれだけの力があると本当に思いますか?
「そう確信している。音楽にはロッカールームに調和をもたらす力がある」
――今のあなたはテレビ解説者としてサッカーに関わっていますが、サッカーと音楽の繋がりは今日もあなたの時代と同じぐらい強いのでしょうか?
「それは今もある。たぶんもっと多様化したかたちで……、今の選手たちは、ファンクやラップなどを好んでいるだろう。僕らのころはサンバだけ。サンバしかなかったんだ。クラブでは以前ほど聴かなくなっているかも知れないけどね。セレソンでは音楽が伝統になっていて、バスやホテルで選手は今でも聴いているよ」
――今の代表では、ウィリアンが最もセンスがあるようですが……。
「ネイマールだって悪くはないよ。思い出すのは2006年ドイツワールドカップのことさ。ロナウジーニョとロビーニョが音楽でもリーダーだったっていうこと。2014年のW杯ではダンテがその役割で、その時、彼はカバキーニョ(ギターの一種)を演奏したものさ」
それでもやっぱり……人生はサッカーにあった。
――ふたつの文化の体現者というイメージから、あなたは恩恵を被っていますか?
「音楽は僕の将来の道を開いてくれただけではない。それはむしろ高速道路へと続く道を開いてくれたという感じさ。そしてサッカーのおかげで、僕は'70年代から活躍する同世代の偉大なミュージシャンちと知り合うことができた。音楽があったからこそ、人びとは僕がサッカーだけの人間ではないって認識してくれているんだよ」
――サッカーを止めて、音楽で身を立てたいと思ったことはありますか?
「絶対にない。僕の人生はサッカーにあるのであって、音楽はあくまでも楽しみだから。そこはハッキリしていて逆はあり得ないね。音楽でも十分に食えるレベルにあると周りの人からは言われるけど、真剣に考えたことは一度もないよ」