フランス・フットボール通信BACK NUMBER
“伝説のセレソン”ジュニオールに聞く、
スポーツとミュージックの幸福な関係。
posted2017/07/01 09:00
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph by
Alex Bensimon
『フランス・フットボール』誌6月20日発売号では、サッカーと音楽の関係が特集されている。
1958年のスウェーデンでのワールドカップ、ブラジル代表の休養日にペレがギターを抱えながら歌っている有名な写真があるように、昔からサッカーと音楽の関わりは深い。
5人目のビートルズといわれたジョージ・ベスト。
スパイクを履き、FCナントのユニフォームを着てコンサートに臨むボブ・マーリー。
サッカーの側からの音楽へのアプローチ、音楽の側からのサッカーへのアプローチ……。日本ではちょっと想像しにくいが、両者は今日に至るまで密接に結びついている。
特集の最後を締めくくっているのがジュニオールのインタビューである。テレ・サンターナ監督時代、黄金の4人(ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ)を後方から支えた名わき役は、同時に名高いパーカッショニストでもある。エリック・フロジオ記者が、ジュニオールの言葉を通してサッカーと音楽の親和性、不可分な依存関係の本質に迫る。
監修:田村修一
セレソンで、サッカーと音楽はどう共存していたのか?
ブラジル代表の中心的存在として、'86年メキシコワールドカップのフランス対ブラジル戦でも思い出に残る活躍をしたジュニオールは、音楽の世界でもまた知られた存在である。
とりわけ『ボア・カナリーニョ(飛べ! カナリア)』は、'82年スペインワールドカップで国民的大ヒットとなった、彼が歌った曲だ。
サッカーと音楽、ふたつの情熱の因果関係をジュニオールが解き明かす――。
サッカーで世界一、そしてミュージシャンとしても……。
彼はその両脚に魔法の力を宿していた。だが、同時にその両腕にも、同じ力が秘められていた。
1979年から'92年まで、ブラジル代表のミッドフィールダーおよび左サイドバックとして活躍したジュニオールは、その時代において最も完璧な能力を有し最もスペクタクルなフットボーラーであった。
現在63歳(取材当時は62歳)。
'81年にはジーコとともにフラメンゴでクラブ世界一(トヨタカップ=インターコンチネンタルカップでリバプールを3-0で下し優勝)に輝いた彼は、またパーカッショニストとしての才能にも恵まれていた。