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“伝説のセレソン”ジュニオールに聞く、
スポーツとミュージックの幸福な関係。 

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エリック・フロジオ

エリック・フロジオEric Frosio

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photograph byAlex Bensimon

posted2017/07/01 09:00

“伝説のセレソン”ジュニオールに聞く、スポーツとミュージックの幸福な関係。<Number Web> photograph by Alex Bensimon

パンデイロを持ったジュニオール。音楽とサッカーは彼にとって切っても切れない関係にあった。

ミュージシャンをバスに招いて試合へ向かう。

――当時の代表監督もそのことは認めていたのでしょうか?

「むしろ勧められたよ(笑)。スタッフも、音楽がグループの絆を固めるのをよくわかっていた。効果は絶大だったから、マラカナンに向かうバスにはときどきジョルジ・ベン(名曲『フィオ・マラビーリャ』の作者)やジョアン・ノゲイラらが招かれていた。彼らと一緒に演奏して歌うのが、緊張を解きほぐしながら試合の雰囲気を高めていく方法だった」

――フラメンゴの選手の中では、誰が最も音楽的なセンスがありましたか?

「全員がセンスに溢れていたけど、ジーコは太鼓が得意だった。ウルグアイ人のラミレスはギターが上手くポルトヌル(スペイン語とポルトガル語が混じり合った言葉)やポルトガル語でよく歌っていた。カルロス・モーゼは『ショカーリョ(リズム楽器の一種)』が好きで、レオナルドはどれもあまり熱心ではなかった。彼はちょっとインテリだったからな(笑)」

名曲『ボア・カナリーニョ』が生まれた経緯。

――現役時代にあなたは何枚もレコードを発売しています。とりわけ最初の1枚は話題になりましたね。

「そのとき僕は、代表合宿でベロオリゾンテにいた。'82年ワールドカップのためスペインに出発する数日前に、友人のミュージシャンであるアルセウ・マイアが電話してきてこう言ったんだ。

『君のための曲がある。かなり凄いぞ』ってね。

 でも僕は、ワールドカップに集中していたから、余計なことはしたくはなかった。ところが彼はそのテープをトカ・ダ・ラポザ(クルゼイロの練習場)まで持ってきた。それを当時のサンバのパートナーだったエジバウド(ブラジル代表の右サイドバック)と一緒に聴いて、彼にこう言われたんだ。

『これは凄すぎる。君にぴったりの曲だ』

 たしかにメロディは強く頭に残ったし、歌詞も的を射ていて脱帽するしかなかった。それでスペイン出発前の最後の週末に、リオで数時間かけて『ボア・カナリーニョ(飛べ! カナリア)』を収録した。ビデオクリップも同時に作った。それが『ファンタスティコ(ブラジルのテレビ番組)』で放映されて、人々の評判を呼んだというわけさ」

【次ページ】 W杯でセレソンのテーマソングになった名曲。

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