フランス・フットボール通信BACK NUMBER
“伝説のセレソン”ジュニオールに聞く、
スポーツとミュージックの幸福な関係。
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph byAlex Bensimon
posted2017/07/01 09:00
パンデイロを持ったジュニオール。音楽とサッカーは彼にとって切っても切れない関係にあった。
スペインW杯の象徴となったジュニオールの曲。
パンデイロ(サンバやボサノバ、ショーロなどで用いられるブラジル風タンバリン)をロッカールームや移動のバス、休暇中もずっと手放さないジュニオールは、ブラジルの民衆文化を象徴するふたつのもの――サッカーと音楽を具体的に結びつける存在であると、長きにわたり見なされてきた。
実際、彼のレコードは、'82年スペインワールドカップ期間中に当時としては驚異的だった72万5000枚の売り上げを記録している。
今日ではテレビ局「TVグローボ」の解説者を務めるジュニオールが、少年期を過ごしたコパカバーナにある母親のアパートで、いかようにしてサンバをチーム内に持ち込んだか、そしてグループの絆を固めるうえで、サンバがいかに有効であったかを解説した。
「サンバとサッカーはとても近い」
――最初に情熱を抱いたのは、サッカーと音楽のどちらだったのですか?
「ほぼ同時に興味を持った。ボールを蹴り始めたのが8歳か9歳のころで、同じ時期に叔父がサンバのサークルに参加した。音楽を聞きながら飲んで議論する。そんなお祭り気分に僕も浸りきっていた。もちろん僕もやりたくなって、叔父がパンデイロを叩くのを見ながら、独学で覚え始めたんだ」
――サッカーとパンデイロでは、どちらがより才能があったのでしょうか?
「もちろんサッカーさ! コパカバーナの浜辺で、兄や彼の友人たちとボールを蹴りながらいろいろ学んだ。パンデイロも同じさ。こちらは一見、簡単に見えるけどとても難しい。ボールの方がずっと楽だったね」
――パンデイロのリズムとブラジルサッカーの身のこなしには違いはありますか?
「ふたつは繋がっている。サンバとサッカーはとても近い。サンバをサッカーのバックグラウンドミュージックとして流したら、両者は完全に調和する。とくにブラジルの試合ではそうだ(笑)」
――フラメンゴで育成課程を過ごしていたとき、音楽はどんな位置を占めていましたか?
「常に身近にあった。もちろんロッカールームで演奏はしないけど、バスの中や休息中はずっと音楽を聴いていた。僕には音楽が不可欠だった。
音楽には人をリラックスさせ、気分転換させる効果がある。他人との距離も縮められる。人間と音楽は自然に結びついている。それが今では、携帯やパソコンにとって代わられているのだろうけど……。
僕はパンデイロを肌身離さなかった。スパイクとパンデイロを、どんなときでも携えていたんだ(微笑)」