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メッシと同時代を生きる幸福と不幸。
誰を見ても「でもメッシの方が……」。

posted2017/05/04 11:00

 
メッシと同時代を生きる幸福と不幸。誰を見ても「でもメッシの方が……」。<Number Web> photograph by AFLO

メッシが世界最高の選手の座について、もう10年近くが経った。しかしメッシがいなくなっても、サッカーは続いていくのだ。

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北條聡

北條聡Satoshi Hojo

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 いずれ、そんな事態に陥る日が来るのかもしれない。

 レオことリオネル・メッシが引退した後の深い喪失感――言わば「レオロス症候群」である。空前絶後の偉才も、この6月に30歳を迎える。メッシも人の子。いまがキャリアの絶頂期なら、この先は下り坂が待っている。Xデーがいつであれ、メッシ以後の世界は必ずやって来るわけだ。

 そして、多くの人が気づいているだろう。メッシの跡目を継ぐ者がおいそれとは現れないことを。

 20世紀の巨人ペレ(1940年生まれ)からマラドーナ(1960年生まれ)へと至る空白期間は、ざっと20年。マラドーナ以後の世界にメッシ(1987年生まれ)が現れるまで、およそ四半世紀を費やしている。20年に1人、または30年に1人だから、ポスト・メッシは現在10代に満たない子供たちの中にいる計算だ。いや、30年に1人なら、まだ生まれていないかもしれない。

誰を見ても「メッシの方が凄い」と思うなら。

 次世代のスター候補生の誰を見ても「メッシの方が凄い」とボヤいてしまうとすれば、それも立派なレオロス症候群の一種。いくら期待したところで、メッシの域には及ばない、という感覚に陥った途端、どうにもテンションが上がらない、という人たちがいるかもしれない。ある意味、生ける伝説をリアルタイムで目撃することができた幸運と引き換えのコストだろうか。

 もっとも、メッシがいても、いなくてもサッカーは面白い――という人たちも少なくないはずだ。コアなファンなら、誰よりもメッシが凄いということに異論がなくても、○○○を観る方がはるかに楽しい、というお気に入りが1人や2人いるものだ。誰が一番凄いかという視点はサッカーの数ある楽しみ方の1つ。そもそも集団競技だから、個人のナンバーワンを決める物差しもない。得点王などの一部の例外を除けば、勝利数や記録を争う個人競技とは違うわけだ。

【次ページ】 サッカーほど布陣が複雑怪奇なゲームも少ない。

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