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甲子園で増え始めた「継投派」監督。
150球超えの“美談”はもういらない。 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byKyodo News

posted2016/08/11 07:00

甲子園で増え始めた「継投派」監督。150球超えの“美談”はもういらない。<Number Web> photograph by Kyodo News

盛岡大付が初戦の先発に選んだ坪田は、県大会のエースではなかった。チーム作りの段階から、複数の投手を育ててきた成果だろう。

「なかなかエースを代えない。自分もそうでした」

 関口監督は松本の件に加えて、2012年のチームを挙げ、こう懺悔した。

「2012年のときは出口という左投手がいまして、1回戦の立正大淞南戦が延長戦になってしまったんですけど、出口1人しか登板させられる投手がいなくて、最後は力尽きて負けたということがありました」

 この試合、関口監督は1人の投手に188球を投げさせた。相手の立正大淞南も投手交代をしない状況での投げ合いであり、選手層の差が直接勝負を分けたわけではないのだが、関口の中に「もう1人出口のような投手がいれば、変わったのではないか」という思いがあった。

 そして、2014年には松本への依存から脱却できなかった。

 2012年は1人の投手に頼るあまり力尽きて敗れ、2014年は甲子園出場と引き換えにケガをさせてしまった。

 その2件を教訓に、今大会に臨んで来たという。

「今日は、最低2人を登板させると考えていました。どのチームも複数の投手をベンチ入りさせますけど、なかなかエースを代えない。まさに自分もそうでした。けど、そこは覚悟を決めてスパッと代える。覚悟を決めて、エースではない投手の先発で試合に臨まないといけないと思うようになりました」

 指揮官が変わらない限り、チームは同じ過ちを繰り返す。関口監督は、自らが変わることで悲劇の連鎖を止めようとしたのだ。

1人の投手で投げることは「美談」なのか。

 1991年に四日市工を率いて以来となる夏の勝利を挙げた、いなべ総合・尾崎英也監督も同じく、変化を選んだ人だ。

「前回勝った時と今とは、昭和生まれの子と平成生まれで野球が違う。僕が平成に降りて行かないといけない」と語った指揮官は、野球の移り変わりと投手起用について、こう話している。

「昔の野球は古典的だったですよね。ランナーが出たら必ず送って得点を獲る。投手はストレートとスライダーを投げる。今は投打とも進化して、野球のレベルが上がっている。その中で、投手1人では抑えきれないようになってきている。チームにいる投手の特徴を生かした継投策、分業制が必要だと思います。1人の投手を酷使するより、みんなで協力していく。1人の投手で投げることは美談にはならないですよ。へばらないくらいの範囲のイニング、球数だったら、十分に勝負できるはずです」

【次ページ】 「熱投=美談」はもういらない。

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