野球善哉BACK NUMBER
甲子園で増え始めた「継投派」監督。
150球超えの“美談”はもういらない。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKyodo News
posted2016/08/11 07:00
盛岡大付が初戦の先発に選んだ坪田は、県大会のエースではなかった。チーム作りの段階から、複数の投手を育ててきた成果だろう。
盛岡大付に息づく、松本裕樹の反省。
とはいえ、そんな空気が充満する中でも、変わろうとする指導者がいるのも事実だ。
その姿勢を1回戦でみせた1人が、九州国際大付の対戦相手だった盛岡大付の指揮官・関口清治だ。
彼は以前、投手起用について話題になったことがある。
今から2年前、盛岡大付には、ドラフト上位候補のエース右腕・松本裕樹(ソフトバンク)がいた。
夏の岩手県予選を終えた時点で、松本の評価は極めて高いものだった。ストレートの球速は150kmを超え、スライダーなどの変化球も秀逸。おまけにバッティングもよく、大谷翔平(日本ハム)と比べられるなど、投打両面において将来が嘱望された選手だった。
ところが、甲子園に来た松本は、その前評判とは異なる投手になっていた。球速は130kmほどで、ストレートで押すことはなく変化球を巧みに操った。1回戦で優勝候補の東海大相模を破ったのは見事だったが、その時に分かったのは、松本の右ひじに炎症があるという事実だった。それも、靭帯の炎症という極めて重いものだった。
2回戦の敦賀気比戦でも先発に立った松本だったが、彼のひじは限界に来ていた。2回3分の2を投げて、9失点降板。敦賀気比に敗れて、大会を去った。
甲子園の初戦、先発はエースではなかった。
試合後、関口監督は「松本で勝ってきたチームだったので、彼に頼らざるを得なかった。指揮官として申し訳ない」と語った。松本がその年の秋にドラフト指名され、ソフトバンク入り。今季ファームで復帰を果たしたという報道があったから、致命的な事態には至らなかった形になるが、危うく日本の宝の1つを台無しにするところだった。甲子園に出るというチームの目標を達成するために、1人の人生が犠牲になるかもしれなかった。
だから、関口監督の采配は今大会も気になるところだった。
甲子園初戦の九州国際大付戦、関口監督は県大会で一番登板の多かった左腕・三浦瑞樹ではなく、背番号「1」の坪田伸祐を先発させた。実は、県大会からチームとして継投策をとってきていたのだ。その背景には、やはり過去の大会での経験があるという。