ワインとシエスタとフットボールとBACK NUMBER
スタジアムで、あの時何があったのか?
パリのテロをスポーツ誌記者が語る。
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byAP/AFLO
posted2015/11/24 10:50
一度スタッド・ド・フランスの外に出ようとした観客たちは、正確な情報無しのまま、再びピッチ上へ集められることになった。
スタジアム内でのパニックの様子は?
――その後、さらに爆発があったのか?
「そうだ。おそらく悪ガキが悪乗りしてやったのだろうが。しかし夜で視界も利かないから、テロ攻撃が自分たちに向けられたと思いこむ人々も多かった。それで恐怖にかられた人々が、ピッチに逃げ込んできた。
その状態が10~15分続き、その後にスピーカーから次のようなアナウンスがあった。『スタジアム内は安全です。ただし退場は1カ所だけからお願いします。すべての皆さんが西門から退出してください』と。貴賓席とプレス席のあるサイドからだ。それで全員が無事退出し、私も子供たちと再会して一緒にブーローニュ・ビランクールの自宅まで戻った。
そこで問題になったのは、地下鉄と郊外鉄道(RER)はどちらも運行しているというアナウンスがあったのだが、実際にはかなりの本数を間引き運転していたことだ。だから多くの人たちがタクシーを拾おうとしたが、そんなに多くのタクシーがいるわけもなく、帰宅するまでかなり大変だった」
――群衆がパニック状態になるようなことはなかったのか?
「それはまったくなかった。試合終了の前に、人々がスタンドからの退出をはじめたときにはちょっとした混乱があったが。具体的には何もわからないままにスタジアムを出て、テロの危険があると知ったときに恐怖に駆られてスタジアムに戻ってきた。そのときはちょっと混乱したが、他は何も問題はなかった。人々はみな落ち着いて帰路についた」
――君自身は試合後どのぐらいスタンドに残っていたのか?
「1時間ぐらいだ」
「地下鉄に乗らない方が良い」と言われた理由。
――それでは家に戻ったのは……。
「私たちもスタジアムを出てまず地下鉄の駅に向かった。しかし駅で警官から『地下鉄には乗らない方がいい』とアドバイスを受けた」
――その理由は。混雑が激しいからか?
「それよりも、地下鉄の中にテロリストが混じっている危険性があるからだ。彼らはパリ内外の異なる6カ所をほぼ同時に攻撃した。スタッド・ド・フランスをはじめバタクランやレストラン……。地下鉄内でテロがあっても決しておかしくはない。それで警官と話しているうちに、彼が私にタクシーの方がいいと勧めた。しかしタクシーは1台もなかった」
――それでどうしたのか?
「セブリン(妻)に電話した。彼女とはその前からコンタクトを取っていて、テレビを見て何が起こったかを知っていた彼女は、スタジアムにいた私たちよりもずっと不安を感じていたし、心配していた。スタッド・ド・フランスでも爆弾テロがあったことを知っていた。それもゲートHで。子供たちの席がスタンドHであったことも、彼女はわかっていた。だから本当に心配していた。ただ、私はスタジアムの中にいて、それほど心配のないことは分かっていたから、彼女よりもずっと落ち着いていた。彼女が車でスタジアムの近くまで迎えに来た」
――それで一緒に帰ったわけだ。
「家に着いたのは午前1時半だった」
――午前1時半……。
「そうだ(笑)」