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スタジアムで、あの時何があったのか?
パリのテロをスポーツ誌記者が語る。 

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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photograph byAP/AFLO

posted2015/11/24 10:50

スタジアムで、あの時何があったのか?パリのテロをスポーツ誌記者が語る。<Number Web> photograph by AP/AFLO

一度スタッド・ド・フランスの外に出ようとした観客たちは、正確な情報無しのまま、再びピッチ上へ集められることになった。

最初にオランド大統領が消え、上空をヘリが舞った。

――事実を伝える場内アナウンスなどは何もなかったのか?

「唯一知り得たのは、フランソワ・オランド(共和国大統領)がスタジアムを去ったということだった。彼は貴賓席で試合を見ていたが、その席はプレス席の真下にあった。君もスタッド・ド・フランスをよく知っているから、位置関係はわかるだろう。ふたりのカメラマンが、プレス席から貴賓席の写真を撮っていた。彼らが最初にオランドがいなくなったことに気づき、写真を撮るのを止めて事実をプレスに伝えた。

 具体的に何があったかはわからない。しかしオランドは帰った。同時にヘリコプターがやって来て、スタジアムの上空を周回しはじめた」

――それで何かが起こったのだと誰もが思った、と。

「そうだ。それが何かはわからなかったが。ハーフタイムに情報を得ようとしたが、そのときラジオ(RTL)のリポーターが、試合の中継を中断して特別番組を放送すると言い出した。パリ市内で襲撃事件が起こったからだという。しかしそれがテロなのか、それとも通常の事件であるのかは、まだわからなかった。

 ハーフタイムで得られたのはそこまでで、後半になってパリ市内で死傷者が出ていることが判明した。スタジアムの周辺でも、死者が出ている可能性が高いと。それが2人なのか3人なのか、それとも7人であるのか、情報が錯綜していた。

 試合終了の15分前から、人々がスタジアムから帰り始めた。しかしその時点では、すべてのゲートが閉鎖されていた。人々はスタジアムの外に出られず、警備の係員からスタンドの自分の席に戻るように言われた。だからほとんどの人々が、試合終了までスタンドに残っていた。

 試合が終わると、場内放送がこう告げた。『紳士淑女の皆さん、皆さんは次のゲートから退出してください。西門と東門、南門からお願いします。北門は閉まっていますからそこからは退出できません』と。いや、違った。閉鎖されたのは南門だった。『南門は閉鎖されています。スタジアムの外で事件が発生したからです』と説明されたが、具体的に何であるのかはわからなかった。カミカゼのテロだとは知る由もなかった。

 人々はスタジアムから帰り始めた。私は子供たちに、自分の席に残っているように言った。テロの可能性があるから、情報を集めてくるまでここで待っていなさい。まだまだ十分に注意が必要だ、と。

 ほぼすべての人々がすぐにスタジアムを離れようとしたが、1度は出ていった観客の多くが、突如スタジアムに戻ってきた。彼らはスタンドではなく、ピッチ上に誘導された。それでもまだ何が起こっているかはハッキリとは分からなかった。周囲の人たちが言うには――爆発音があってそれは爆弾によるものだと。彼らはそう思いこんでいた」

【次ページ】 スタジアム内でのパニックの様子は?

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