ワインとシエスタとフットボールとBACK NUMBER
スタジアムで、あの時何があったのか?
パリのテロをスポーツ誌記者が語る。
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byAP/AFLO
posted2015/11/24 10:50
一度スタッド・ド・フランスの外に出ようとした観客たちは、正確な情報無しのまま、再びピッチ上へ集められることになった。
パリ市内から、一気に人がいなくなった。
――パリ市内はどんな様子だったのか?
「ひとつ言えるのは、ニコラ(長男)が市内のレストランで働いているのだが、そのとき彼の店の客はほとんどが、フランスのテレビ局のジャーナリストたちだった。事件の発覚とともに、全員が直ちに食事を止めて局に戻った。彼らからスタッド・ド・フランスでのテロを聞いたニコラも、私たちのことをとても心配していた。そしてニコラ自身も、たぶん警官か誰かと話をしたのだろう。地下鉄には乗らずに自転車で家に戻ると言っていた。
私は1時半すぎにカミーユを彼女の母(前妻)の元に送ったが、街にはひとっこひとり歩いていなかった。騒動の後で誰もがすぐに帰宅した。誰もがテロがあったことを知り、テレビを見て何が起こったかを理解した。警備に当たった警官たちも、人々ができるだけ早く帰宅するように誘導した。彼らは『早く帰宅してください』と叫び続けていた。
最初のテロ――レストランでの機関銃乱射とスタッド・ド・フランスでの自爆テロの後、すべての人々がわれ先にと自分の家に帰っていった。だから街には誰もいなかった」
すでに今年に入って17人も犠牲になっていた。
――そういうことか。オランドが国家非常事態宣言を発動し、それから一夜が明けたが、パリ市民たちは今、どうしているのか?
「不安はまだまだ拭い去られてはいない。すでに1月にテロがあった。それから数えてもう20人くらい犠牲になっていたはずだ」
――16人ではなかったか?
「『シャーリー・エブド』で12人、それ以外ではポルト・ド・ヴァンセンヌの商店で3~4人だったはずだ。だからたぶん17人くらいが犠牲になっていると思う。かつて例を見ないほどのテロだったが、今回はそれを大きく上回った。現時点で128人が犠牲になったと発表されている。しかも同時多発テロだった。異なる場所で同時に起こった。
『シャーリー・エブド』を襲ったのはふたりのテロリストで、その後店を襲ったのはもうひとりの別のテロリストだった。今回は違う。同時に異なる場所で起こった。4人がバタクランのコンサート会場を襲い、3人がスタッド・ド・フランスに、さらにもう1人が別の場所を攻撃して死亡したが、他にも数人が逃亡に成功したと言われている。つまり1月のテロよりも深刻であるといえる」