オリンピックへの道BACK NUMBER
浮き彫りになる候補地選考の問題点。
'22年北京冬季五輪、混迷の道程。
posted2015/08/04 11:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
「熱気がない」
旧知のあるジャーナリストから聞いた言葉が、今回の招致の流れを象徴していた。
7月31日、国際オリンピック委員会(IOC)は総会で、2022年の冬季オリンピックの開催地を決定した。
最終候補として残っていたのは北京(中国)とアルマトイ(カザフスタン)。選ばれたのは北京だった。
夏冬の両五輪を開催する史上初の都市誕生の瞬間でもあったが、ここまでの選考の過程を含め、今回の決定にあたって、オリンピック開催の多くの課題が浮き彫りになる機会でもあった。
振り返れば、2022年の招致活動は、思いがけない展開で進んできた。
辞退が続出、2候補だけの最終選考。
もともとは、数多くの都市が立候補に関心を示していた。ミュンヘン(ドイツ)、ジュネーブ(スイス)などの大都市をはじめ、ウインタースポーツに実績を持つ都市も含まれていた。
その中から6都市が立候補を表明したが、1次選考を前にストックホルム(スウェーデン)、クラクフ(ポーランド)、リヴィウ(ウクライナ)が撤退。北京、アルマトイ、オスロ(ノルウェー)の3都市が最終選考へと進むことになった。
だが、オスロも撤退。北京とアルマトイだけが残って迎えたIOC総会だった。
なぜこのように、次々に立候補を辞退する都市が相次いだのか。
最大の理由は開催にあたっての負担の大きさだ。近年、冬季オリンピックは財政的な重さが懸念されてきたが、2014年のソチ五輪では、かかった費用が5兆円とも伝えられた。開催を考えていた都市では住民による反対運動が起こり、多くの都市が立候補を断念することになった。
特に、最終候補となりながら撤退したオスロは、今回の選考を象徴しているかもしれない。1952年にオリンピックを開催しているオスロは、冬季国際大会を数多く開催している実績があり、冬季競技全般の人気や理解も高い。だから選手からもかねてから高く評価されていた。
それほど冬季競技を好む人々がいても、世論調査で50%以上が立候補に反対したように、財政負担への不安は消えず、断念せざるを得なかった。