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<ノンフィクション> セルジオ越後 「ニッポンを叱り続けた男の人生」 

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城島充

城島充Mitsuru Jojima

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photograph byNorihiko Okimura

posted2011/01/25 06:00

<ノンフィクション> セルジオ越後 「ニッポンを叱り続けた男の人生」<Number Web> photograph by Norihiko Okimura

「日本人にはサッカーとサンバは無理」という固定観念。

 サンパウロの名門チーム「コリンチャンス」とプロ契約を結んだとき、セルジオ越後の名はブラジル全土に広がった。

 現地の新聞はその驚きを≪東洋人にもサッカーができる≫という見出しで伝えた。日本から移民した両親のもとで育った日系ブラジル人2世は「日本人にはサッカーとサンバは無理だ」――というブラジル社会の固定観念を払拭したのだ。

「小さいころから他の子供たちと同じようにサッカーばかりしていたからね。サッカーはスポーツじゃなくて、遊びだったの。ブラジルじゃ、練習してうまくなるんじゃない。うまくなってから練習するんだよ」

 草チームは星の数ほどあり、週末にはさまざまなチームのセレクションが行なわれた。時計の針をさらに巻き戻したセルジオの述懐が興味深いのは、突出した自信と自我の持ち主だけが熾烈な競争を勝ち残れるわけではない現実を教えてくれるからだ。

24歳の若さで現役引退を決めた理由とは?

 17歳でコリンチャンスのユースチームのテストを受けたとき、ミッドフィルダーを希望していたセルジオは同じポジションを狙うライバルが多いのに気後れし、ウイングのポジションでテストに臨んだ。

「結果的に、それがラッキーだったの。ミッドフィルダーは1人5分しかプレーできなかったけど、ウイングは4人しかいなくて僕は20分間もピッチに立てた。自分の力を十分にアピールできて合格できたの」

コリンチャンス時代のセルジオ(前列左から2人目)

 ユースからトップチームに昇格できた同僚のなかには、後にブラジル代表の「10番」を背負うリベリーノもいたが、初の日系人プロ選手の知名度は特別だった。

「日本人を出せ! 日本人を出せ!」

 ベンチにいると、観客席からそんな声が飛ぶ。もちろん、プライベートでも英雄扱いされたが、セルジオが味わったのはプロの栄華だけではなかった。

 コリンチャンスは労働者階級に支持される人気チームだが、サポーターやメディアの目も特別厳しかった。

 1本でもセンタリングをミスすると、声援は罵声に変わる。優勝から遠ざかったチームの監督は次々と入れ替わった。人はちやほやされてばかりだと甘い夢を見てしまうが、厳しい環境にもまれると、より現実的な考えに支配される。セルジオが24歳の若さで現役引退を決めたのも、チームスタッフのこんなアドバイスを聞きいれたからだ。

「サッカー選手は娼婦と同じだ。年をとったら誰も見向きしてくれなくなるぞ」

【次ページ】 鉄鋼会社に就職して3年、セルジオに届いたメッセージ。

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