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マイケル・ワッカと秋の若武者。
~Wシリーズで奮闘した超新星~
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byGetty Images
posted2013/11/02 08:01
カーディナルスを牽引してきたワッカ(右)とモリーナ。2人の夢は第6戦で潰えた。
ワールドシリーズが終わった。カーディナルス最後の砦だった若武者マイケル・ワッカが打ち込まれ、レッドソックスが戴冠した。これまで打てなかったシェーン・ヴィクトリーノやスティーヴン・ドゥルーといった伏兵が大暴れしたのも、「スターに頼らぬワールドシリーズ」にふさわしい結末だった。
それにしても、ポストシーズン・ゲームはやはりいろいろな記憶につながる。上原浩治が回をまたいでリリーフに立てば、どうしてもマリアーノ・リベラの姿が眼に浮かぶし、アダム・ウェインライトがデヴィッド・オルティースを初回から敬遠したときは、ジョージ・ブレットの姿が蘇った。
ワッカが呼び起こした「秋の若武者」の記憶。
あれはたしか、1985年のワールドシリーズ第3戦だった。敬遠したのは、カーディナルスのホアキン・アンドゥーハー。ブレットは7試合で3割7分と打ちまくり、ロイヤルズ優勝の牽引車となった。
調べてみると、'58年ワールドシリーズの第2戦でも、ヤンキースのミッキー・マントルが初回に敬遠されている。歩かせた投手は、ミルウォーキー・ブレーヴスのルー・バーデット。マントルの打率は7戦を通じて2割5分にとどまったが、ヤンキースは最終戦でもバーデットを打ち崩し、18度目の王座に就いている。ケイシー・ステンゲル監督がシリーズを制したのは、これが最後だった。
しかし、最大の記憶の触媒は、やはりワッカだ。最後は、刀折れ矢尽きる形で敗退したものの、それまでの奮戦は実にみごとだった。彼を見て、私は「秋の若武者」を何人か思い出した。
たとえば、1981年のフェルナンド・バレンズエラ。満20歳だった彼が所属するドジャースは快調に勝ち進み、新人のバレンズエラもいきなり最前線に立った。