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<銀河系以前のレアルを語る> ロベルト・カルロス 「歴史を変えた'98年の優勝」 

text by

豊福晋

豊福晋Shin Toyofuku

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photograph byGetty Images

posted2010/12/01 06:00

<銀河系以前のレアルを語る> ロベルト・カルロス 「歴史を変えた'98年の優勝」<Number Web> photograph by Getty Images

1998年5月20日、アムステルダム・アレナでビッグイヤーを掲げる主将イエロと歓喜のレアルメンバー

ジダンと左サイドで一緒にプレーしたことは忘れない。

――ジダン加入後のマドリーの左サイドの攻撃は、ほとんど完璧ともいえるものだった。

「ジダンはサッカー史に残るレジェンドだ。僕のキャリアの中でもロナウドと共に最高の選手だね。彼と左サイドで一緒にプレーしたことは忘れられない。あんなプレービジョンをもった選手を見たことがない。ファーストタッチやダイレクトパス、それにルーレット。彼のプレーは隣で見ていても楽しかった」

――しかし'03年以降マドリーは凋落していく。

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「監督の度重なる交代がそれに繋がったんだと思う。カルロス・ケイロスが去った後からは、次々に新しい監督がやってきては去っていった。シーズンで3人替わったこともあった。カマーチョにガルシア・レモン、ルシェンブルゴ……。これじゃ勝てるわけがないだろう? 確固としたプロジェクトがなかったんだ。そしてマケレレの放出は痛かった。ジダンもよく僕に言ってたよ。『マケレレを出したのはクラブのミスだ』と。マケレレは攻撃的なチームのバランスを取ってくれる貴重な存在だったんだ。いくら優れた攻撃的選手がいたとしても、サッカーはバランスを失うと勝てなくなるもの。彼の不在はその後の凋落に大きく響くことになった」

――君は外国人選手としてクラブ史上最多出場を誇っている。ロベルト・カルロスにとってレアル・マドリーというクラブとは?

「マドリーというクラブで、これほど長くプレーできる選手というのは限られている。外国人選手だったらなおさらだね。ピッチ上での活躍はもちろんだけど、これだけ長くプレーできたのは、僕がスペインという国、そしてマドリーのファンに受け入れられたからだと思う。僕はスペイン人じゃないかと思うこともあったくらいだ。未だにマドリッドに家を持っているし、沢山の友人もいるしね。でも、記録を見ると驚くこともあるんだ。僕がウーゴ・サンチェスやシュスター、ミカエル・ラウドルップ、ジダン、フィーゴよりも多くの試合に出場してるなんてね。クラブとファンには感謝しているし、今後も僕とマドリーの関係は続くだろう」

――いまでもCLで優勝した'98年のチームメイトと話すことはある?

「親友のイエロ、そしてカシージャスとはよく電話で話すよ。カシージャスにはW杯の優勝直後にも電話した。あの頃のチームでは、ラウールとセードルフはまだ欧州のトップレベルでプレーしているよね。それも彼らのプロフェッショナルな姿勢のおかげだ。二人はあの頃から体のケアを怠らなかったし、練習にもいつも真剣に取り組んでいた。子供のようにサッカーに集中してて、遠征でホテル生活が続いても、まるで疲れた様子もなく楽しんでいた。長くトップレベルにとどまれる秘密はそれだろうね。いつかあのチームみんなで集まりたいと思ってる。僕にとってはそれほど忘れられないチームだったんだ」

ロベルト・カルロス

1973年4月10日生まれ。スピードと強力な左足が武器の攻撃的サイドバック。インテルなどを経て、'96年から'07年までレアル・マドリーに在籍し、3度のCL制覇に貢献。W杯には3回出場した。現在はコリンチャンスに所属する。168cm、67kg

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