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<銀河系以前のレアルを語る> ロベルト・カルロス 「歴史を変えた'98年の優勝」 

text by

豊福晋

豊福晋Shin Toyofuku

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photograph byGetty Images

posted2010/12/01 06:00

<銀河系以前のレアルを語る> ロベルト・カルロス 「歴史を変えた'98年の優勝」<Number Web> photograph by Getty Images

1998年5月20日、アムステルダム・アレナでビッグイヤーを掲げる主将イエロと歓喜のレアルメンバー

ロッカールーム内ではどんな有名選手も普通の青年だよ。

――あの優勝はスペインサッカーにとってどんな意味があった?

「優勝後にマドリッドで僕らを待っていたのは、凄まじいお祭り騒ぎだった。100万人以上の人が外で祝っていたんだ。32年間もタイトルから離れていたし、当時はスペイン勢の低迷も叫ばれていた。決勝前の世論も、ほとんどがユーベを推すものばかりだったからね。でも僕らがあの時にユーベを破り結果を出したことで、マドリーの時代が再び幕を開けることになった。2年後には8度目の優勝カップをパリで、そして9度目をグラスゴーで掲げることになったのも、'98年の優勝があったから。あのタイトルはレアル・マドリーというクラブを再び世界のトップに立たせた、歴史的にも重要な意味を持つものだった」

――それまでの欧州サッカーはイタリアが支配していた。君はセリエAのインテルからマドリーに移籍し欧州の頂点に立ったわけだ。

「イタリアには僕の求めるサッカーはなかった。僕もまだ若かったし、イタリアサッカーに上手く順応できなかったんだ。そんな中、カペッロ監督が僕を説得してくれた。『スペインなら君の力が発揮できる』とね。イタリアではまず守備をして攻撃はそれから、という具合だから、僕のようなサイドバックにはあまり適したリーグじゃなかった」

――'90年代末期、君は欧州のサイドバックの概念を根本から変えた存在だった。

「マドリーにきたばかりの頃も、最初は批判ばかりだったよ。攻撃はいいけど守備ができないじゃないかとね。でも僕はその頃からサイドバックこそが、後方からゴールチャンスを作り出していくべき存在なんだと考えてた。実際、ユーベ戦でもレバークーゼン戦でも、僕の攻撃参加は得点を生むきっかけになった。次第に周囲もそんな僕のプレー、攻撃的プレーを評価してくれるようになったんだ」

――後にペレスが会長に就任してから、「銀河系」の時代に突入することになります。

「個人的にはペレスは素晴らしい仕事をしたと思っている。世界最高の選手を集め、フィーゴ、ジダン、ベッカム、ロナウド、オーウェンらを獲得した。彼らと同じチームでプレーする機会など普通はないわけだし、幸運だったね。グラスゴーではジダンらをベースに優勝することもできた。ただ、いくら素晴らしい選手を揃えても常に勝てるわけじゃない。人々は名前を見て、『すべてのタイトルを取れる』と過度に期待してしまうわけだ。しかもスペクタクルな内容でね」

――毎年スター選手が加入し、当時の練習場はハリウッドとも言われていた。

「僕はハリウッドと思ったことは一度もなかった。ロッカールーム内ではどんな有名選手も普通の青年だよ。ジダンもベッカムも人間味に溢れてて、スター気取りじゃなかった。あの騒動を生み出したのは、ロッカールームの中じゃなくてその外に作りだされた世界だ。それこそ“銀河系”や“ハリウッド”という言葉でね。でもそれは事実とは違ったんだ」

【次ページ】 ジダンと左サイドで一緒にプレーしたことは忘れない。

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