濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
必要なのは「強者」か「勝者」か?
厳密な判定が生んだUFCの“迷勝負”。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byGetty Images
posted2012/07/16 08:02
7月7日、アメリカ・ラスベガスで開催された『UFC148』。セミファイナルの試合後、フォレスト・グリフィン(写真左)は僅差での判定勝利をはぐらかすためか、自らマイクを持ち、引退試合を終えた敗者であるティト・オーティズのインタビューを行なった。
アメリカでは珍しくない、展開の印象と判定結果の乖離。
実はこういうパターンは、アメリカでは珍しくない。
記憶に新しいところでは、2月に行なわれたカーロス・コンディットvs.ニック・ディアスのUFCウェルター級暫定王者決定戦がそうだった。常に前に出てビッグショットを放ったディアスではなく、バックステップから手数を稼いだコンディットの勝利となったのだ。
ボクシングでは、6月のマニー・パッキャオvs.ティモシー・ブラッドリーが物議を醸した。やはりパッキャオの“ドカン!”よりもブラッドリーの“コツコツ”がポイントとなったのだ。
場所は同じく、ラスベガスだった。
多くの問題を抱える“ポイントゲーム”での勝利。
格闘技は強さを競うスポーツであり、ファンが見たいのは“強い選手”だ。前に出る選手、強打を狙う選手を好む。そのため、手数でジャッジの印象を掴む戦法を揶揄する「ポイントゲーム」という言葉もある。ファンのニーズを考えると、ポイントゲームでの勝利には問題があると言える。
ただしスポーツである以上、選手は決められた基準の中で競技をする必要がある。ジャッジを味方につけるのも勝負のうちなのだ。グリフィンvs.ティト、コンディットvs.ディアス、パッキャオvs.ブラッドリー。いずれの試合も、賛否はあれど採点基準じたいはブレていない。
実力伯仲の対戦にポイント差をつけなければいけない時、基準にすべきは“どちらが強く見えたか”という印象論ではなく“手数という事実”になるのだろう。
それじゃあ、いかにもつまらないじゃないか。強い奴より巧い奴が幅を利かせるような世界じゃ魅力がない──そんなファンには“創造的破壊者”の存在を思い出してもらいたい。
この世界にはあらゆるルール、スポーツとしての細かい基準を無効にするような特別なファイターが何人も登場してきた。
マイク・タイソン、ナジーム・ハメド。ほかならぬパッキャオもその一人だ。
UFCには、この大会のメインで史上最多、10度のタイトル防衛を果たしたミドル級王者アンデウソン・シウバがいる。王座獲得を果たした試合も含めて11勝のうち、判定は2つだけだ。