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<悲運のレスリング世界女王の挑戦> 小原日登美 「10年越しの夢舞台」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byYukihito Taguchi

posted2012/07/13 06:00

<悲運のレスリング世界女王の挑戦> 小原日登美 「10年越しの夢舞台」<Number Web> photograph by Yukihito Taguchi

妹から衝撃の提案。「日登美が五輪を目指した方がいい」

 '09年、小原はコーチとして世界選手権に参加した。この大会で、妹は8位に終わる。その直後、真喜子は言った。

「私は引退するから、日登美がオリンピックを目指した方がいい」

 その瞬間を、小原はこう振り返る。

「驚きというかショックが大きかった。妹がそういうふうに言うのはコーチとして勝たせて上げられなかったから。私の力不足だったと思ったんです」

 妹を説得しようと試みた。

「もう1年やってみようよ。それでだめだったら自分が復帰するから」

 ところが真喜子は、頑なだった。

「それだと遅い、ロンドンに間に合わないよ」

 妹を説得しつつも、現役への思いも生まれはじめていることにも気づいたが、コーチとしての責任も果たしたい。「どうしたらいいのか分からない」と迷い続け、結論が出たのは、'09年12月、全日本選手権のときだった。

「妹は優勝しましたが、内容がぎりぎりで、見ていて限界かなと感じたんです。そのとき、自分がかわりにやろうと腹をくくりました」

周囲の支えを得て、課題だった減量と肉体改造に成功。

 妹は一線を退き、小原は復帰を表明した。

 まず課題になるのは、やはり減量だった。

「51kg級でも大変だったのに、ほんとうに落とせるのか、ただ減量だけして弱くなっても意味がない、どうしようと思いました」

 不安をかき消したのは、周囲の支えだった。自衛隊体育学校のレスリング部コーチらが、体脂肪を減らすトレーニングを指導し、並行して48kg級という軽いクラスでの戦い方を想定した練習を行なってくれた。五輪日本代表選手団のドクターを務めた経験のあるつくば市内のドクターに、食事メニューなどのアドバイスを仰いだ。小原はトレーニングをこなす一方で、アドバイスに沿ったメニューの自炊を続けた。それは「発見」でもあった。

「以前は外食もしていたし、ストレスを感じるとついついジャンクフードに手が伸びることもあった。だから減量が大変だったし、48kg級に落としている姿なんて想像できなかった。でも人間って、本気でやると決めれば不可能はない、できるんだと思いました」

 周囲の支えとともに、またオリンピックを目指せるという喜びが、以前には考えられないほど、己を律した生活を可能にしていた。

 3カ月余りで8kgの減量を行ない、肉体改造に成功した小原は'10年の5月、全日本選抜選手権で優勝を飾った。

「夢にまで見たオリンピックの階級で復帰できてうれしいです」

 試合直後、涙を流した。

【次ページ】 五輪代表の座をついに勝ち取るも、心中に残る不安。

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