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<悲運のレスリング世界女王の挑戦> 小原日登美 「10年越しの夢舞台」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYukihito Taguchi
posted2012/07/13 06:00
五輪代表の座をついに勝ち取るも、心中に残る不安。
同年と'11年の世界選手権48kg級を連覇し、48kg級でも世界のトップレベルであることを証明した。'11年12月、優勝すれば代表に内定する全日本選手権を圧勝。五輪代表の座をついに勝ち取った。
「48kg級で復帰してからはあっという間でした。でも、アテネ、北京と出られず、オリンピックのマットに立てる権利をとるまではほんとうに長かった。オリンピックに出られない時期はいろいろ心に抱えてしまうこともありました。でも、それも現在につながっているし、この先の人生にとってもいい経験だったと思う。これまでの全部をひっくるめて、よかったと今は思います」
復帰後、すべて順調だったわけではない。
'10年11月のアジア大会で、国際大会では11年ぶりの敗北を喫し、3位に終わっている。懸念の減量がうまくいかず、直前に急激に落として計量に間に合わせたことによる消耗と、研究を重ねられていたことが原因だった。
異なる階級ならではの迷いや、自身の性格から不安が生じたこともある。
「相手が51kg級のときより小さいので、攻め方が分からなくなったり、完璧に勝っていないんじゃないかと思うときもあって。周囲によく完璧主義者って言われるんですね。自分にはセンスがないから誰よりも努力しないと勝てないし、心配性もあって、より完璧に、完璧にってなるんです(笑)。苦しいと思ったこともありました」
「みんなを笑顔にするためなら、どれだけ苦しんでもいい」
それでも今、歩みにいっさいのぶれはない。
「スポーツ選手にとって最終地点というか、いちばん目指したい場所がオリンピックです。レスリングでは誰にも負けたくない、頂点に立ちたい、そのためならどんな努力でもできると思ってやってきた。今までと違い、世界選手権の先の、大きな舞台に挑戦できること、オリンピックへの努力ができることがとにかくうれしいんです」
そしてこう続けた。
「妹、両親、旦那、コーチや支えてくれる人たち、いろいろな人の力あっての自分なんです。だからオリンピックで優勝して感謝を示したいというのが正直な気持ちです。やさしい? 選手はみんなそうなんじゃないですか。自分はマットで自身を表現できるけれど、支えてくれた人たちは自分が勝たないと報われない。みんなを笑顔にするのが自分の成し遂げたいことです。そのためにはどれだけ苦しんでもいい」
約10年をかけて、ようやくつかんだオリンピックの舞台で金メダルを手にする日を、小原ははっきりと思い描いている。