スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
厳格な規準がメダルの可能性を奪う!?
競泳で考える五輪代表の選考方法。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byAtsushi Tomura /AFLO SPORT
posted2012/04/16 10:30
「初めての優勝は嬉しいですが、あと0.5秒で五輪に行けなかったのが辛い」。日本一になったにもかかわらず五輪出場を逃すことになり、優勝者インタビューで落胆する男子1500m自由形の山本耕平。
日本選手権で優勝したのに、これほどまでに落胆し、涙する選手たちがいる大会はない。
4年に一度、オリンピック代表選考会を兼ねる競泳の日本選手権は悲喜こもごもの大会となる。
競泳の場合、選考基準が明確で上位2位までに入り、なおかつ日本水泳連盟が定めた「派遣標準記録」を突破することがオリンピック代表に選ばれる条件となる。
ADVERTISEMENT
だから優勝しても派遣標準記録が突破できないと、選手たちはがっくりと肩を落とすことになる。
最終日も男子1500m自由形で山本耕平(鹿屋体育大学)が、わずか0秒55、女子200m背泳ぎでは酒井志穂(ブリヂストン)が0秒13届かなかった。山本はミックスゾーンでの記者の取材に、「体が重くて」と話しながら、時々、言葉に詰まってしまった。聞いている方も、つらい時間だった。
“暗黙のルール”を排除する契機となった千葉すずの提訴。
派遣標準記録が厳格に運用されるようになった経緯は、2000年に遡る。シドニー・オリンピックの選考会で女子200m自由形の優勝者・千葉すず、男子100m背泳ぎで勝った大石隆文が代表に選ばれなかった。
これを不服とした千葉すずは「スポーツ仲裁裁判所」(CAS)に仲裁を申し出て、その結果、CASが日本水泳連盟に対し「選考基準が曖昧だった」として訴訟費用の一部負担を申し渡している。
それまでは「日本選手権で2番以内に入れば代表は内定」というのが暗黙のルールだったと思うが、この裁定がきっかけとなって記録が重視されるようになった。
当初、私はこの方向性に反対だった。世界選手権、オリンピックへの出場は選手を大きく成長させる意味合いがあるからだ。オリンピックで敗れた経験が次の大会へのメダルにつながる例を何度も見てきたからである。鈴木大地、北島康介にしても、最初のオリンピックで戦えなかった悔しさがあり、それが次のステージへと飛翔するきっかけとなったのである。
2枠あるのに、それを使わないのはもったいない──。そうした考えを持っていた。