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落合博満44歳「あのときオレの“戦う気持ち”が絶えた…」天才・落合に現役引退を決断させたのは誰か?「完全燃焼なんてウソ」信子夫人は日本ハムの起用法を疑問視
posted2025/01/21 11:05
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が3刷重版と売れ行き好調だ。
1996年オフ、43歳になる落合博満は巨人を電撃退団する。「巨人軍vs.落合博満」その後の物語。あまり語られていない日本ハム時代、最後の1年……なぜ落合は44歳で現役引退したのか?【全2回の後編/前編も公開中】
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「ここで絶えた」六番への“降格”
「打率が一度3割を切ると、(4月)26日の西武戦から私の打順は六番になったのである。メディアは、私が速球にはついていけないから、技巧派や対戦成績のよい投手だけの限定四番になると報じた。また、上田監督からは『少し気楽に打ってくれ』と声をかけられた。私は『どこでも頑張ります』と伝えた。しかし、私の『戦う気持ち』は、ここで絶えた」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)
開幕10試合で打率.333を残していた落合だが、打率.270まで下がった26日の西武戦から、「六番一塁」で先発起用された。己の存在価値を証明しようと、異例のスピード調整で結果を出したにもかかわらず、いとも簡単に四番の座を外される。四番打者の存在はこんなに軽いものなのか――。長年にわたり第一線で戦い続けた、落合の心は折れかけていた。
スタメンから“落合”が消えた
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さらに4月28日の打席で右手親指の付け根部分を痛め、翌29日のダイエー戦を欠場。以降チームは首位を走り、この年20本塁打を放つ代役一塁手の西浦克拓も持ち前の長打力でアピールを続けていた。背番号3が、スタメン復帰したのは5月13日のダイエー戦だった。首脳陣との野球観の違いに加えて、体力的な衰えも隠せなくなっていたが、落合はここから土俵際の粘りを見せる。
5月17日の近鉄戦で左中間二塁打を放ち、通算2352安打目。“打撃の神様”川上哲治を抜き、歴代9位となった。19日の西武戦では、テリー・ブロスの139キロの直球を右中間スタンドへ。ロッテ時代からの代名詞でもある、右方向への2号アーチで打率も3割に戻す。だが、それは同時に稀代の大打者・落合の最後の輝きでもあった。この通算510号が、オレ流の現役ラストアーチになるのである――。