箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「こ、怖かったです…」箱根駅伝“史上最激戦”4つ巴のシード権争い…トラブル連発でも東洋大「20年連続シード権獲得」“涙のアンカー”の本音
posted2025/01/04 17:36
text by
涌井健策(Number編集部)Kensaku Wakui
photograph by
Kiichi Matsumoto
「ありがとうございます……はい、こ、怖かったです」
近づきながら「良くやった」と声をかけてきた指揮官に気づき、両手を差し出した東洋大学・薄根大河(2年)の声は震え、目にはうっすら涙が浮かんでいた。
酒井俊幸監督は、薄根の肩をポンポンと叩くと「泣くなよ、シードとったんだから」と柔らかい笑みを浮かべた。そして「次は怖くならないように、もっと余裕を持ってスパートかけられるようにしような」と前向きな言葉をかける。
ADVERTISEMENT
2人のやり取りに、箱根駅伝という舞台の大きさ、そしてそこでシード権を獲り続けるチームが背負うものの重さが滲んでいた。
第101回箱根駅伝。東洋大学は9位に入り、現在進行形では最長となる20年連続のシード権を獲得した。だが、その偉業は薄氷を踏む、ギリギリのレースの末に掴んだものだった。
箱根の「超名門」東洋大に起こった“異変”
1月2日早朝、駅伝ファンの間に激震が走った。東洋大学が当日のエントリー変更で往路5名のうち4名を交替。特に、1区・石田洸介(4年)と2区・梅崎蓮(4年)という二枚看板が外れたことで、上位進出はおろか、シード権さえ危ういのではないかとささやかれた。
事実、往路の戸塚中継所で取材をしていると、通過順位は19位。記者仲間からも「厳しいね」という声が漏れていた。3区を走る迎暖人(1年)のサポートに回っていた石田の姿も見えたので「痛めた足、大丈夫?」と声をかけると、「はい」という声は返ってきたものの、その表情は固かった。
ゴールの大手町で酒井監督が内情を語る。
「いやぁ、参りましたよ。エース(梅崎)を使えないんですもん。2区が予定通りに行かないと全ての計画が崩れてしまいますから。シード落ちも頭をよぎりました」
梅崎を外す決断はレース前日の1月1日。直前に発症したアキレス腱痛が原因だったというが、それ以前から不調のシグナルを感じていたという。
「夏以降、走りのテンポがずっと良くなかったというか、調子が上がって来なかったんです。12月21日の法政大学記録会に出せば調整にもなるので、その後、上がってくるかなとも思ったんですが、最後まで感覚的にも良くない中で突発的にアキレス腱に痛みが出てしまいました」